October 17, 2018

サウジ記者失踪~婚約者の寄稿:My Fiancé Jamal Khashoggi Was a Lonely Patriot @nytimes

(c) CNN

My Fiancé Jamal Khashoggi Was a Lonely Patriot - NY Times

BY Hatice Cengiz, New York Times


- in Japanese


ジャマル・カショギ(Jamal Khashoggi)に出会ったのは今年5月、イスタンブールの会議のときです。中東湾岸情勢のことに関心があったので名前は知っていたんですね。30分ぐらい政治の話をしました。ジャマルは祖国サウジアラビアでいま信じられないようなことが起こっている、とても心配だと語っていました。

会議の後、お礼のメッセージを送ったところから連絡を取り合うようになり、ほどなく恋愛に発展。中東の政治のことにもしっかり声をあげるジャマルの精神性と勇気を心から慕い、彼が戦い続けた民主主義、人権、表現の自由。、それを求める思いで結ばれた恋でした。

実家はトルコのカイセリ県の出で、ジャマルはジャーナリストとして30年間働き、サウジ・ガゼット紙などの記者を歴任し、Arab NewsとAl Watanの編集長、TV局経営、評論活動の傍ら、サウジアラビア政府・政界トップの政策顧問を務めた人物です。元情報局長であるTurki al-Faisal王子の顧問を務めた経験もあります。

世界中を飛び回る人生でしたが、サウジアラビアが一番だと言っていました。帰ることは叶わない身になってしまいましたが。ムハマド・ビン・サルマン皇太子を批判する有識者と活動家が一斉摘発されたとき、ジャマルはスーツケース2個をもって亡命した身だったのです。

でも祖国を誰よりも愛した人でした。反体制活動家と紹介されるたびに、それは違うと言って、「ペンの力で国のために働くフリージャーナリスト」と言い直していたものです。サウジアラビアを捨てたのは、そうする以外、報道を続ける道がなかったからです。

祖国で牢屋に閉じ込められている友達のことを思って塞ぎ込んでいるときには、「まだこうして自由に書けるのだから」となぐさめたものです。声と影に追われる悪夢にうなされる夜もあり、朝電話をかけるといつも、声を聞いてホッとしたよ、やっと笑顔になれた、と言っていました。まさか悪夢が現実になるとはあのときは思いもしませんでした。

ジャマルは実直で、心が広く、温かいところが本当に好きでした。最初は世界的に著名な評論ジャーナリストというシャープなイメージでしたが、そのずっと奥にあったのは、痛いほどの望郷の思いに駆られて苦悩する、どこにでもいるひとりの人間の姿です。マディーナの街をまた歩いてみたい、生まれ育ったあの街、友と飽きるまで語り明かしたあの街を一度でいいから歩いてみたいと、いつも言っていました。

ワシントンDCに仕事の拠点を移して1年以上になるのに、なかなか馴染めなかったようで、「祖国も家族も友達もない、精神風土も違う異国暮らしは荷が重すぎる」と言っていました。とても孤独でした。「愛するHaticeもいるし、健康な体も何もかもある。でもここには人生を分け合う人がだれもいない」と言うジャマル。結婚では愛と思いやり、そして何よりも人生をともに歩む伴侶を求めていたのです。

愛するふたりで新しい人生を歩むことを夢見てジャマルは、ワシントンからイスタンブールに飛びました。結婚に必要な書類をもらいに。余生を幸せに生きたい一心で、あの運命の日の10月2日午後、サウジ領事館に足を踏み入れたのです。

ふたりには夢がたくさんありました。まず新居をもつこと。結婚したらアメリカにいる友達に早く会わせたい、もう朝ひとりで目覚めなくてもいいんだね、と毎日毎日言ってました。あれだけの苦悩を抱えていながら、ジャマルはそれを決して人には言わなかった。いつも山のように強くありたいと願い、がんばり続けていたのです。

サウジの領事館に(前の奥さんとの)離婚証明書を受け取りにいく日の朝はとても明るかったです。その日は私も大学を休んで一緒に行きました。領事館の窓口の人には午後1時に出向くように言われていたし、悪いことが起きるような予兆はどこにもありませんでした。

領事館に向かう道々、あとで新居用の家電を見て、晩ごはんは家族、友達と一緒に食べようねと、その日の予定まで話し合っていたんです。ジャマルは領事館に着くと、颯爽と中に入っていきました。もしすぐ出てこなかったらトルコの当局に通報するようにと言い残して。それが最後のお別れになるとわかっていたら、私が代わりに入っていったのに。そう気づいたときには時すでに遅く、ジャマルは二度とビルから出てくることはありませんでした。彼は永久に消え、私の心もあの日あの場所で永久に失われてしまったのです。

あのときふたりは別々の世界に永久に分かれてしまったのだと思います。どこに行ってしまったの? 生きてるの? まだ生きているなら、今どうしているの? 疑問は堂々巡りを繰り返し、時ばかりがむなしく過ぎていきました。



今日はジャマルの誕生日です。本当は身近な人たちを招いて、寂しがり屋のジャマルのために愛情たっぷりの温かい誕生会を開く予定でした。本当なら今頃はもう夫婦になっていたはずでした。

あれから12日経ちますが、ジャマルの行方は未だにわからないままです。毎朝目覚めるたびに今か今かと連絡を待ちわびる自分がいます。正式発表はまだですが、サウジアラビアは未だに生存を裏付ける証拠を出していませんので、ほぼ絶望的です。やはりジャマルを暗殺したという報道は本当なのかと、最悪の事態を想定せざるをえません。

もし報道が事実だとするなら、ジャマルはムハンマド・ビン・サルマン皇太子の配下の若者たちに殺害され殉職したことになります。それは私のみならず、良心とモラルを持つすべての人にとって大きな喪失です。ジャマルが他界したとするなら、これはもはや糾弾で済む話ではありません。政治信条に関わりなく、法に則り罪を贖うべき話です。

トランプ大統領がホワイトハウスに私を招きたいと話していることをニュースで知りました。イスタンブールのサウジ領事館であの日何が起こったのか、真相究明に力を貸してくださるのであれば喜んでお受けしたいです。

ジャマルは弾圧に反旗を翻し、最後は自由を求めるサウジ国民のために自らの命を捧げました。もうこの世にいないのだとしても(そうは思いたくないですが)、今日この日、彼の遺志を継ぐジャマルが無数に誕生することを願ってやみません。ジャマルの思いと志に共鳴する人はトルコ、サウジアラビア、そして世界中にいるはずです。弾圧は決して長続きしません。暴君も最終的には自分の犯した罪から逃げ切ることはできないのです。

愛する人がこの世を去ると、あの世はもう怖くないし、そんなに遠い場所にも思えません。辛いのはこの世です。どこを探しても、もうここにあの人はいないのですから。