Ishida氏「その瞬間、デッキより一番下にいる人はみな水没ですよね。で、下からグワーッとあれよあれよと水が入ってきました。船の中は灯りもない真っ暗闇。電灯で照らすと血みどろの死体がそこら中に転がっていました。片手がない人も…みんなまだ血を流しているんです。でも浸水を食い止めるには、そこに置き去りにしてドアを締めるほかなかった…戦争は残酷なもんであって…」
何千人という男を震えるまま残して、デッキの気密扉が意図的に閉められた。
Ishida氏「本には綺麗事が書かれている。軍刀で自決した人もいたとかなんとか。でもそんな威厳のある死に方ではありませんでした」
生存者Kazuhiro Fukumoto氏「上に登っていったら小さなハッチがあったんですね。そこに辿り着いたら水が上がってきてもうダメだと…そしたら海から士官が引っ張り上げて助けてくれたんです」
いかに堅牢な破損制御をもってしても、大和の沈没を食い止めることはできなかった。
Fukumoto氏「船がわーーーーっと傾いて、主砲塔3基のうち左の1基は完全に水没しました」
混乱の中、高官が船を離れろと命令を下した。
Fukumoto氏「海に飛び込んだ瞬間のことは何も覚えていませんよ。ただものすごい爆発が見えた…あの轟音は今も忘れません」
これは10マイル(16km)先から米軍魚雷機が捉えた爆発の写真、大和最後の瞬間である(2:12-)。
こうして日本最大の戦艦の3000人近い乗組員が”自殺”。海難史に残る悲劇となった。
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大和沈没の真相は様々に議論されてきた。あれは本当に「自殺」ミッションだったのか? 爆発の原因はなんだったのか? どうしたらあれだけの巨艦があれだけの短時間で沈むのか?
(2:57-)日本の南方200マイル(322km)。海の歴史家とダイバーから成る国際合同調査チームが大和最終ミッションを取り巻く謎の解明に乗り出した。今の先端技術で沈没地点に潜り、日本人を長年魅了してきた巨大戦艦の残骸に初めて光を当てるのだ。
歴史家Katsuhiro Hara氏「大和の話はみんな好きですね。普通の関係ない人でも、自分のことのように感じるんです」
ダイバー監督Paul.H.Nargeolet氏(仏)「証拠がないため、日本の人にも絶対見つかる確信はありませんでした」
ダイバー班が使ったのは世界最先端の海底探査装置だ。各々水深3000フィート(914m)まで潜れる。ロボットアームで小さな残骸も回収可能なら、ガラス張りのバブルからはパノラマ式に海底が見晴らせる。
水深1250フィート(365m)の海底まで所要約15分。
Nargeolet氏「最初瓦礫目指して潜った時には、ここで彼らに何が起こったのだろうと、万感胸に迫る思いでした」
水深1250フィート(365m)でソナーとエコーが海底に並ぶ巨大な鉄の塊の方角を差した。海底には夥しい数の大砲の残骸が散らばっていた。60年前にはこの辺りは戦場だったから、その跡かも…。大和であることを示す証拠を探さなくては。
日本の大型軍艦の例に漏れず大和にも、数マイル先からでもそれと分かる大きな菊の紋章が舳先についていた。
船舶設計技術者Sakutaro Nishihata氏「船は天皇のものだという思想があったので天皇家の菊の御紋章ですよ。戦艦、空母、巡洋艦…」
大和の菊の紋章は、中でも一番大きな直径2m。これさえ見つけられれば…。
(7:17- 暗がりに浮かぶ菊紋)「This...is the symbol!」「Yes」「Yes, Yes!」「Beautiful, hah?」「Yes. Beautiful.」ついに発見。測ってみると直径は2メートルきっかり。間違いない。世界最大の戦艦だ。
(8:13- 米紙。「米機により大和沈没」、「米軍、日本最大の戦艦を沈める」の見出しが踊る)
大和は大砲8門から遠方の敵を攻撃する目的で造られた。一番の要は射程。射程に差があれば、遠くまで弾が届く船が一方的に攻めるかたちになる。1904年には米グレイト・ホワイト・フリートのように12インチ砲をなんと7マイル(11.26km)飛ばせるものも現れ、砲艦外交の時代が幕を開けた。
この時代の流れをいち早く察知したのが日本海軍だ。彼らは1905年5月、対馬沖合で巨大なロシア艦隊と戦い、1日で19隻沈没させた。
歴史家Muir氏「対馬沖の戦果は日本の名を世界に轟かせ…」
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