戦艦大和の米PBSドキュメンタリー:Yamato - Sinking the Supership 1/6



3分で戦艦大和を紹介する海外映像:Battleship Yamato - in Japanese」とあと1本は米PBSのドキュメンタリー番組「Yamato - Sinking the Supership」。国際海底探査チームが大和を見つけた瞬間の映像、日米双方の生存者証言を交互に織りまぜながら紹介する貴重映像だ。

制作プロデューサーは日米両国で育った日系アメリカ人ケイコ・ハギハラ・バン女史で、やはりヤマトと言うと宇宙戦艦ヤマトしか思い浮かばない戦後世代なのだけど、日本出張中、TV朝日を訪れたら戦艦大和のことが話題になってて、そこで初めて実在の大和があることを知ったんだって。

沈んだ大和には日系人もひとり乗っていた。何十年か早く生まれてたら自分がそこにいたかも…と考えると他人ごととは思えず、この番組を作ることをライフワークとして取り組んできた、と番組制作背景に書いてるよ。

生き残った石田さん(インタビュー後、2005年に他界)の「救出された後、それまで感じたことがないほど強く生きたいと思った」という言葉が、水上特攻の最期を思わせ、ずっしりと心に迫る。




太平洋戦争も終盤を迎え、海から空に主戦場が移る中、日本は国の威信をかけて極秘に開発した戦艦大和を海に出航させた。大和は400機を超える米機の攻撃を受け、全機密もろとも海に沈んだ。

歴史家Malcom Muir氏「あれは死亡者の数では海運史上最大の惨事だった」

当時最高水準の技術の粋を極めた巨大戦艦はなぜ沈んだのか? 国際合同海底探査チームが発見した海底の残骸から、この第二次世界大戦最大級の謎に迫る。

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戦争末期。追いつめられた日本軍は、恐れを知らぬ奇襲秘密兵器を投入した。神風特攻隊。

この自殺攻撃の命令は呉の海軍基地にも発せられた。日本本土に進水する米軍艦1500艇以上がひしめく海に世界最大の戦艦を護衛機なしで進水させるという、前代未聞の海上特攻命令だった。

大和は日本の国威の象徴として造られた船だ。艦隊が壊滅した今、この最後に残された最大の戦艦が単身、敵に向かうのだ。

生存者Kazuhiro Fukumoto氏「攻撃方法なんて問題にもされなかった。死そのものが美徳だということで」
生存者Naoyoshi Ishida氏「死ぬ覚悟はできていました。身辺整理もして」

1945年4月7日未明、戦艦大和は乗組員3000余名を乗せて祖国の海を後にし、第二次世界大戦で最も絶望的な神風ミッションに向かった。

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米軍艦数百マイル先の地点で偵察機が大和の姿を捉えた。米機400機以上が夜明けとともに出撃。大和は迎撃態勢を整えた。

生存者Ishida氏「飛行機が約30機連隊になって飛んでくるのが見えた時には心臓が飛び出すかと思いました。来た、来たぞ…と思ってね」

最初の急降下爆撃機隊が上空2000フィート(609m)から大和の姿を捉えた。それはパイロットがかつて見たこともない巨艦だった。

米海軍パイロットEdward Sieber氏「上等な機動作戦なんてない、とにかくできるだけ接近して滑降ですよね。急降下が始まると、世界はとても小さく見えた。急降下は1分。その1分が1時間にも感じられた。頭の中はもう、あの船に当てる、それしかなかった。上空3000フィート(914m)でビンゴ、命中。船は我々の眼前で沈んでゆきました…」

Ishida氏「石を投げてやろうかと思った、それぐらい近かった。肉眼で米軍パイロットが見えましたよ」

Sieber氏「トリガー引きっ放し。途中何発かデッキに弾が貫通した」

Ishida氏「弾が飛んでくるのよけながらです。甲板から人が落ちていくのも見えました…それが繰り返し繰り返しくるわけです…」

爆撃で大和はカオスに陥った。が、これは合同攻撃の第一陣に過ぎなかった。やがて爆撃機は全方位から大和を攻撃開始、魚雷もワンダース発射された。


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