戦艦大和の米PBSドキュメンタリー:Yamato - Sinking the Supership 4/6



探検隊はようやくバルバス・バウ(Bulbous Bow、球状船首)の形状や秘密が探れるところまで接近した。

なぜ世界最大・最強の戦艦はかくも短時間で敗れたのか? ほぼ全員を道連れにして。

大和型戦艦の脆弱性が初めてわかったのは、日本海軍の真珠湾攻撃の時だった。

1941年12月7日朝、米軍の停泊艦船を日本の戦闘機数百機が襲い、そのわずか3日後、日本軍はマレー沖を空爆した。戦闘準備万端だった新配備の英プリンス・オブ・ウェールズが撃沈された事実は海の専門家に衝撃を与えた。

真珠湾攻撃から3週間もかからないうちに、日本の戦闘機は太平洋にある同盟軍の戦艦に片っ端から打撃を与え、空襲が戦艦に勝ることを全世界の海軍に見せつけた。

この目覚しい戦果を見ても尚、日本は(空からの攻撃に弱いという)脆弱性を抱える大和に国の命運を託していた。

元大和乗組員タカモト・ヒロト氏「最高の戦艦。配備された時は興奮を抑えきれませんでした」
大和サバイバー石田直義氏「アメリカの軍艦と撃ち合いしたいと思っていました」

が、戦艦vs.戦艦の時代は終焉を迎えつつあった。

(2:46-)太平洋戦争にターニングポイントが訪れたのは、ミッドウェー海戦。あれは空母の戦いだった。1942年6月、米海軍は日本の軍機を罠におびき寄せ、数百機出撃させる。わずか数時間で日本は空母4隻、航空機330機以上を喪失。帝国海軍は再起不能となる。

この戦いで大和は司令室の役割りを果たした。が、米機が狙える射程より遠い300マイル(482km)後方に控えていた。

ミッドウェーで大和は空母を4隻失って孤立。日本の基地に引き揚げるほかなかった。その後もクルーは戦闘準備を続けたが、ついぞ出番はこなかった。

歴史家マルコム・ミュア氏「日本人は大和を一度も出陣させなかった。他に代わるもののない宝ですから危険な目に晒したくなかったんですね。1942年8月末から1943年5月までに大和が海に出たのは、なんと1日だけです」

ずっと陸の生活。大和乗組員の間では「大和ホテル」というジョークが出るほどだった。

元大和乗組員タカモト・ヒロト氏「毎日白米でね。酒はいくらでもありました」

戦艦は、海軍の白象となった。

そして大和がこうして呉の港に繋がれている間にも日本海軍はじりじりと後退を迫られていた。

大勢の命を踏み台に米軍は太平洋の島を1個、また1個と奪回していった。テニアン、サイパン、硫黄島を飛び石として不可侵の日本本土に駒を進め、1945年4月にはついに本土から300マイル(482km)の沖縄が侵攻できるポジションまで詰めた。

日本ではあらゆる物資が不足していた。残るは人。日本は秘密兵器を解き放った。

(5:32)ニュース「米海軍VS.日本のカミカゼ」―空のハラキリ、神風特攻隊が死に物狂いの抵抗。

エド・シーバー元海軍パイロットは初めて空母から神風特攻隊を見た時の模様をこう語る。

エドワード・シーバー米海軍パイロット「彼は空から扇状船尾に真っ逆さまに落ちてきた。たまたまベースにいたのでトリガー引いたら命中して機体の一部が舷側に落ちてきて…みんな心底怖がってました。本当に衝撃でしたよ。ああいう発想、こっちは慣れてないから」


歴史家・原さん「沖縄に米軍の空母があったので、なんとしても母、父、妹、子どもを守らなくては、という集団愛国主義ですよね」

神風特攻隊は、そのほとんどが大学生だった。

「新聞がドラマティックに書き立てるので、だんだん自殺任務は尊敬すべきことだって風になっていったんですね」

沖縄の北400マイル(643km)、大和は比較的安全な呉港に鎮座していた。船なら1日で着く近場では神風特攻隊が死闘を繰り広げていた。

元大和乗組員・石田直義氏「大音響のスピーカーで『神風特攻隊3機目が突入しました! 』 と伝えるんです。パイロットの声も飛行機から直に流れてきました。『今から突撃します!』。すると、ああ、今亡くなられたのだな、と思って、ご冥福を祈ったものです」

1945年春までに神風は船300隻に命中し、何千人というアメリカの水兵を殺した。

これだけパイロットが自らの命を犠牲にしても米軍侵攻を止めることはできなかった。が、日本には栄誉の死を重んじる独特の伝統がある。これが目に見えない

沖縄侵攻で神風と戦う一方、日本連合艦隊司令部を大混乱に陥れる事件が起こった。東京大空襲。何百万人が家を焼失し、死臭が至るところに立ちこめた。

戦況もここまでくると、もはや大和を出陣させないわけにはいかない。たとえ勝ち目のない戦でも。

大和サバイバー石田直義氏「残された場所は沖縄。燃料が片道で、呉に戻る分がないことは言われなくても分かってました」

若者の神風を統率したのと同じ司令官によって、さらに決死の極秘出撃作戦が立案された。敵陣が沖縄の海岸に数百隻攻めこんでくる海に逆行し、空からの護衛もなしに出撃し、主砲で闘い、副砲で闘い、それでだめなら最後は素手で徹底抗戦するプランだ。

船乗組員3000人超。全員決死のプランである。


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