ガザを地図で説明する動画:The situation in Gaza explained with a map @lemondefr



パレスチナで1900人弱(大半は民間人)、イスラエルで兵士64人と民間人3人が亡くなったガザ(国連発表)。その「何がどうなってこうなってるの?」をサックリ解説した仏紙ル・モンドの動画。モーゼまで遡るとサックリも何もないのだけど、漁業水域のところなんかは勉強になる。


- in Japanese 

(補:2014年6月ヨルダン川西岸地区でユダヤの少年3人が殺され、7月には報復にパレスチナの少年1人が生きたまま焼き殺され、怒ったパレスチナはロケット弾をイスラエルに飛ばした)


2014年7月8日、イスラエルはハマスのロケット弾*に対抗し、ガザ空襲「プロテクティブ・エッジ(境界防衛)作戦」を開始。

同17日にはハマスのトンネルを破壊するため、地上攻撃を開始した。

攻撃は過去8年で4回目。2006年の「夏の雨作戦」、2009年の「キャスト・リード(鋳られた鉛)作戦」、2012年の「防衛の柱作戦」に次ぐものだ。

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本題に入る前に、まずは視覚でガザを把握してみよう。

ガザは細長い。幅4~7マイル(6.4~11km)、長さ25マイル(40km)。面積は140平方マイル(362平方km)で、パリの3倍ある(東京23区の半分)。西は地中海、南はエジプト、東と北はイスラエルに接している。

人口は180万人。世界屈指の人口過密地域で、1平方マイル(2.6平方km)に11,000人以上もの人が住んでいる。

ガザ地区は5つのエリアにわかれており、北の中心がガザ市。

人口の3分の2は難民で、多くは国連が1948年以降つくった8つの難民キャンプに住んでいる。

ガザは国ではない。北のヨルダン川西岸地区(ウェストバンク)とともに、パレスチナに与えられた2つの自治区のひとつだ。

イスラエル軍は1967年の六日戦争(第3次中東戦争)で勝ってガザを占拠した。

国を失ったパレスチナ人は難民化。

後にイスラエルは、パレスチナ人国家をつくることを約束する「オスロ合意」をパレスチナ解放機構(PLO)と結んだ。

こうして1994年にはパレスチナ自治政府が誕生。エリアAはパレスチナ管轄区域、エリアBはパレスチナ文民が管轄する地方、エリアCはイスラエル管轄区域(イスラエル人入植含め)という区分けになった。ヨルダン川西岸地区の都市部とガザの3分の2はまだパレスチナが管轄していた。

2005年にガザ域内21ヶ所のイスラエル人入植地が解体となって、イスラエル軍が撤退すると、ガザは空域・海域を除いてすべてパレスチナ政府の管轄となった。

そこで台頭したのがハマスだ。

ハマスはエジプトのムスリム同胞団に近いイスラムの団体である。2006年の評議会選挙で全132議席のうち76議席を獲得し、万年与党のファタ派(43議席)を抜き多数党になる。

が、この選挙結果を無視する国も海外にはあった。なぜか? ハマスがイスラエル殲滅を目指す団体だからだ。ハマスはオスロ合意を拒み、イスラム教を軸とするパレスチナ人国家建国を目標に掲げていた。

ハマスが選挙に勝ったのを境に、ガザは外交的に孤立を始めた。イスラエルは関税の支払いをストップし、米国と欧州連合(EU)は金融支援を止めた。

ガザは政治的にも孤立した。ファタとハマスの武力衝突を経て2007年、ハマスはガザを完全掌握し、地理区分がそっくりそのまま政治・イデオロギーの境界線となった。ヨルダン川西岸地区は、パレスチナ自治政府大統領マフムード・アッバス(国際協調路線のインテリ)率いるファタ派の管轄区域だ。一方のガザ地区は、イスラエルとの武装闘争集結を拒むハマスの管轄区域である。

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今の武装闘争は2つの戦略が柱だ。

ひとつはロケット弾発射。最初はガザ付近に飛ばすのがやっとだったが、今はだいぶ遠くまで飛ぶようになった。2014年7月にはエルサレム、テルアビブ、ハイファにも着弾している。ハマスが飛ばすロケット弾の75%以上はイスラエルの防衛システム「アイアンドーム」に弾かれてるという情報もあるが。

もうひとつはトンネルだ。これはハマスがイスラエルの領地に簡単に出れるように掘ったもので、ユダヤ人国家イスラエルはこっちのトンネルも全部潰すと言っている。


Le Monde


こうしたハマスの攻撃に対抗し、ガザの境界はすべて封鎖された。

エジプト側のラファフ検問所もムバラク政権下、封鎖された。2011年には開放されたが、2013年にはエジプトの軍事クーデターでまた閉鎖された。エジプト軍は食料・建材・武器密輸用のトンネルも破壊した。

イスラエル側の封鎖はもっと徹底していた。境界にバリアと緩衝地帯がぐるりと張り巡らされ、緩衝地帯(肥沃な農地が多い)にガザ住民は一歩も入れなくなった。検問所も1ヶ所置きに閉鎖され、一部の商人、国際機関や救急医療の関係者以外は通行禁止となった。

ガザ唯一の空港も2011年に破壊されたきり、修復もされずに放置されている。

海に出ることもガザ住民は禁じられている。オスロ合意で定めた漁業海域は25マイル(40km)だったが、イスラエルに何度も狭められて6マイル(10km)、緊張が最高潮の時には<a href="http://tanakaryusaku.jp/2014/08/0009854" target="_blank">3マイル(5km)</a>となった。国連が「魚は8マイル(13km)沖まで出ないと見つからない」と言っているにも関わらず。

この制限の解除も、ハマスが今回求めていることのひとつ。漁業はガザ住民にとって主要な収入源のひとつだからだ。

ガザ隔離政策によって、ガザと西岸の間の不平等はさらに拡大した。ガザの1人あたりの国内総生産(GDP)は西岸(3137ドル)の半分の1535ドルとなり、失業率も31.5%に急騰した。

イスラエル空爆とハマスの和解拒否。そのはざまでガザ住民は、この細長い街から一歩も出れない収容所のような暮らしをしている。


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[Le Monde]

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