いや~コスコ会員誌、初めて開いて読んだよ…
Running Past Empty
By Julie Hagy, The Costco Connection, June 2014
「おまえは大きくなったら世界一の超長距離ランナーになる」と小さな頃のスコット・ジュレクに言っても、ジュレクは笑って相手にしなかっただろう。
ミネソタの田舎で育ったジュレクは元々、ファストフードをたらふく食べ、血圧も高く、走ることと言ってもクロカンスキーのコーチに怒られない程度で終わり、という、長距離走とはおよそ縁遠い人間だった。
「子どもの頃は、走るのはなんかの罰でしかなかったよ。ほらよくやるでしょ、あと1周回ってこい、って(笑)」
そんな彼が走り始めたきっかけは陸トレだ。「コーチに夏場もなんかトレーニングやっておけよって言われたんだけど、自転車もローラースキーも買うお金がなかった。それで走ったのね」。最初は1マイル半(2.4km)で始め、少しずつ距離とスピードをあげていった、それが高2の時。いざやってみると、長く走れば走るほど、スキーのタイムもあがる――走ることにはそれなりの満足感もあった。
大学に進んでからもジュレクは、たまに楽しみで走る程度だった。それを変えたのが、仲間のダスティ・オルソン(Dusty Olson)だ。雪山であれだけスピードと持久力があるんだから舗装した道で走ったらきっとスゴいぜ、どうだ一緒に出てみないか、とジュレクを50マイル(80km)走に誘ったのだ。まだマラソン出場経験が1回しかないジュレクは、この誘いに乗った。
こうしてオルソンとふたり、ミネソタ・ヴォイジャー50マイルトレイル・ウルトラマラソンに20歳で出場。ウルトラマラソンとは、マラソンの距離(42.195km)を超える超長距離走すべての総称だが、ジュレクはこのウルトラ初挑戦でいきなり2位に入る。
「あれで初めて目覚めたんだ。走ることってこんなに面白い、最初は到底不可能に思えることでも思い切って出れば案外やり遂げることができるもんなんだなってね」
2年後、彼は同じ大会で見事優勝を果たす。以降、スパルタスロン246kmレース3連覇、ウエスタンステイツ100マイル持久トレイルレース7連覇など、世界の名だたるウルトラレースでことごとく優勝をさらい、大会記録を塗り替えてきた。
「スコットの偉業は他の誰にも真似できないよ」と、ウルトラランニング歴史研究家のバズ・ブレル(Buzz Burrell)は語る。「決して一番優れた才能の持ち主というわけではなかった。だがとにかく研究熱心で、訓練も熱心なんだ。彼には頭脳、気力、胆力がある。だから尊敬されるのさ」
ジュレクは名を挙げるために走り始めたのではない。彼にとって走る目的は常に、自らの限界を試し、自然を楽しむことに他ならなかった。「子どもの頃はよく山で遊んでた。狩りや釣りをして、そうして野生の場所とつながってたんだ。走ることは、外に出て、その昔と変わらない野生に入っていく手段に過ぎない。走ると、そういうことでもなければ絶対見れない場所にも入っていける。この自然とのつながりを自分の中に保ち続けることが、とても大事」。走ることで得られるお金は微々たるものだと認めるジュレクだが、当分やめる気はないという。
「まさか自分が競技や趣味で走るとは思ってもみなかった。僕が今やってるのは、日常ありえないことだ。ウルトラランなんて傍から見れば頭どうかしてる。でも考えてみるとこれって、人間誰しも持ってるサバイバル本能の延長なんだよね」。現代社会は、体を動かして生きる狩猟・採取・農耕生活からはだいぶ離れてしまった。「今はみな快適に暮らしてるけど、ウルトラランニングをしてる時は、昔のサバイバル生活がどんなものだったか噛み締めることができる。人間はみなちょっとクレイジーで、日常ありえないことをやりたがるもの。それはいいことなんじゃないかな」(後略)
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