A氏の戦争(備忘録)

アメリカに来たのは、卵。
おいしい卵が食べられると思って来たの。

そしたらあんまり味がなくってね。
「なーんだ、なんのために来たのかな」って(笑)。

そのうち戦争になって母親に連れられて日本に帰った…。



(お国はどちらで?)
広島。市街被曝。妻も広島。

(奥様「ひとつ上の学年の子は全滅しましたよ。たまたま欠席した子が助かったり…。戦後は東京にいたけど卵って本当に貴重でね。孤児が沢山いて、孤児院が母屋と続きになってて、週1回卵が出るの。するとみんな卵配らないうちからお茶碗で卵こうやってね…混ぜるフリして待ってる時代でしたよ。今はコレステロールとか言っちゃってるけど(笑)」)

戦時中は学徒動員で三菱造船所で働いた。子どもだから、あれ取って、これ取ってと言われるままに渡す簡単な仕事だけどね。

戦後戻って、日本語ができるからってオークランドで○○(うろ覚え)して働いてたら、朝鮮戦争が始まって。今度は朝鮮半島で忍びですよ。

(し、忍びって…まさかスパイ?)
そうそう。契約書には米軍基地内にいるだけの簡単な任務とあったので、「軍は飯も旨いし~」って思ってサインしたんだけど…ばかだね(笑)。

夜になると、戦線越えて北の敵陣の様子を探りに行くわけ。看護兵と銃撃兵…10人ぐらいでグループ組んでさ。(奥様「顔にもなんか塗ったんじゃなかった?」)まあ、それは塗ったり塗らなかったり。銃を撃つと、こちらの居場所がバレるからね。焼夷弾放り投げて燃えてる間に帰ってくるんだ。ま、めったに使わなかったけど。夜が明けるまでに戻ってこなきゃならない…。

国境超えたらもうキューカンボよ。冷静そのもの。(奥様「急にキューカンボ言ったってわからないでしょ! あ、cool as a cucumberって言いたいのね(笑)」)

一番怖いのは戻ってくるときの30分か40分。本当に味方かどうか身元をチェックする検査、これが怖いの。銃口こちらに向けてる兵士に取り囲まれながらだから一歩間違えると撃たれてしまうからね。

(奥様「山・川とかの暗号はなかったの?」)あったよ。これは毎日変わる。夜12時きっかりに。だから次の日の暗号も教えてもらってから出ていたね。

やっとチェックが終わって戻ってくると、とても待遇が良いの。ああ、良く帰ってきた、これ食べな、あれ食べな、ご苦労様、ゆっくり休めって言ってくれてね。3週間も経つと、おいそれ持ってこい、あれ持ってこい、に戻るんだけども(笑)。

でも前線に出る兵士に比べたらずっとマシだった。いくら前線だなんだ言ったって人間どうしても眠気がくるわけですよ。眠ってしまったらおしまい。眠ってる隙に首をスッと切られてしまう。全員切る必要はない。それぞれの班からひとりずつ(手振り)。それだけで充分。


飛んでくる弾をよく見てみたら「Made in Japan」って書いてるんだ(笑)。着地で削れてよく見えないけど。自分が作った弾が自分目がけて飛んでくるわけですよ(笑)。で、これがまた良く当たるんだ!(爆) 

朝鮮半島には終戦のとき日本兵が置いてった兵器が沢山残ってたんで、それを朝鮮戦争でも使い回していたんだね。今となっては笑い話だけども。

やっぱり日本語ができるってことでモントレイの軍で働かされたこともあるよ。でも結局、辞めてしまった。人生最大のミスのひとつかな。捕虜の尋問やれって言われて、それはできないって断ってしまった。

辛いときは笑いなさい、笑わなきゃだめ、頭が回らん。こうやって笑わないと。□

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と言って笑顔作るときのA氏の顔はたぶん一生忘れられない。

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