Strangers are just a click away, but why we don't follow them? and why we should. Really great article by Wired's Jonah Lehrer.
Gizmodoでジョエル・ジョンソンが、ツイッター・フィードに赤の他人を追加することについて、なかなか説得力のある意見を書いていた。:
僕がこれ読んで思ったのは、Twitterの他人がもたらすプラスの効果は、電子盗聴の愉しみに留まらない、ということ。予測不能なツイートに絶えず触れることで ― 間違ったツイート、意味不明なツイート、どうしようもなく馬鹿なツイートでもこの際構わない― 自分のクリエイティブな可能性の幅は広がるんだよね。
この説明を理解するには、ごくありふれた、人間のイマジネーションの予測可能性の問題に立ち返らなくてはならない。何遍調査しても人に自由に連想するよう頼むと、返ってくる答えは意外と自由じゃないのだ。例えば、「青」から連想する言葉をなんでもいいからひとつ言ってくれと頼むと、大体最初に返ってくるのは「空」だ。次はおそらく「海」。その次が「緑」。クリエイティブな気分の人だと、「ジーンズ」なんかの名詞だ。何故か? 理由は簡単。「我々の連想は言語で形成される。そして言語はクリシェ(陳腐な決まり文句)だらけなのだ」
ではどうしたらこのようなクリシェから脱却できるのか? UCバークレイの心理学者Charlan Nemeth女史は実に簡単な解消策を見つけた。彼女の実験は、こんな風に進む。ある被験者のグループにいろんな色のスライドを見せて何色か訊く。グループには予め、ラボの助手を覆面で潜入させている。大体のスライドはひと目で色がわかるので、グループの人たちは瞬く間にそのつまらないルーティーンに慣れて落ち着く。
ところがここでNemeth女史はラボの助手に、わざと間違った答えを叫ぶよう言っておいたのである。だから赤のスライド見せると「黄色!」、青のスライド見せると「緑!」という珍回答が飛び出すわけね。で、この実験をやって数分後、同じカラーを見せて、そこから自由に連想した言葉を尋ねてみたら、結果は驚くべきものとなった。なんとそのグループは、「dissent condition(逆の意見を考えられる状態)」になっていたのだ。―要は、正確じゃない記述に晒されてきた人たちの方が、もっとオリジナルな連想ができた、ということ。「青」と聞けば「空」、「緑」と聞けば「草」を連想するバカの一つ覚えじゃなく、連想の織機を広げた彼らの口からは「青」からそれこそ「マイルス・デイビス」とか「smurfs(アニメ、マネーロンダリングする人)」とか、果ては「パイ」なんて答えまで飛び出してくる。もはや分かりきった答えが彼らの唯一絶対の回答ではなくなってしまったのだ。
もっと最近になってNemeth女史は、これと似た戦略が、「ベイエリアの渋滞改善策について自由に連想する」といった様々なクリエイティブなタスクの問題解決改善にも役立つことを発見した。
こうした「異論(dissent)」のパワーも実は、ひとえに驚きのパワーのなせる技なのである。誰かが間違った答えを叫ぶと、それを聞いた我々は ― 青が「緑」と呼ばれる衝撃の勢いで― 色というものの意味を今一度考え直し始める。妙ちきりんな回答の意味を理解しようと、別の新しい角度から問題を考えるようになる。そこで自分たちが慣れ親しんだ連想 ―青と空という簡単な連想― を後にするのである。我々のイマジネーションは自分では予想だにしないものに遭遇することで、広がる。
そしてだからこそ、Twitterでは他人をフォローすべきなのだ。我々の人生は自然に任せてるとつい、なんでも自分色のマニキュア塗りたくった人生になってしまう。好きなブログも作家も友だちもみんな自分そっくりな見てくれで、自分そっくりな考えを持ち、下手すると話し方まで自分そっくり、なんてことになる。(週末カプチーノの列に並んだ時には、ホントに自分の顔面張り倒したくなったよ。だって列に並んでる全員が全員みんなおんなじ格好なんだぜー。アートっぽく綻びつくったジーンズ、ぶっ飛んでるTシャツ、フランネルのシャツ、くしゃくしゃの髪、etc.。 しかも全員おんなじガジェット見てるし。まさか全員おんなじ糞サイト見てんじゃ…ってね。 人と違う格好のつもりが全員おんなじ格好してるっていう大茶番劇で、自己嫌悪なんてもんじゃなかった!)。 この戦略だと人生はそりゃちょっとばかり快適にはなる ―なんせストレンジャーは言うこともストレンジだったりするからな ― が、それはまた自由な連想の足かせとなるクリシェが強化されることをも意味する。我々はますます凝り固まった考え方しかできなくなるのだ。
だからこそ僕は、Twitterで予想不能な誰かをフォローすることが、もっとオープンな心に近づく小さな一歩だと思うのね。何故なら、世の中みんながみんな同じ物事に同じように反応するとは限らないから。時として我々は実験にサクラひとり潜り込ませないと、そんなことさえ思い出せない。でも時として我々は、神、デトロイト、カーダシアン姉妹に対する新しい見方に触れさせてくれるネットの他人ひとりいるだけで、それを思い出すことができる。
[Twitter Strangers - The Frontal Cortex]
Twitter Strangers
BY Jonah LehrerGizmodoでジョエル・ジョンソンが、ツイッター・フィードに赤の他人を追加することについて、なかなか説得力のある意見を書いていた。:
僕のTwitterの友だちはみんな僕みたいな白人のトンマばかり。それに気づいた僕は一念発起して、新しい友だちを選んで、注意を払ってみることにした。彼女はクリスチャン。でもセックスは怖くない子。ちょいと男性不信だが、かと言って男を怖がってるわけでもない。自分の財政責任をとても誇りに思っている。偽モデル風の写真はすごくかわいい。が、20代の今はまさに僕が「(ショッピング)モール・ファッション」と呼ぶスタイルそのまんまで驚くほど。家はデトロイト。新車購入では本当にイライラのし通しだったみたい。カーダシアン姉妹には見てるこっちが恥ずかしくなるぐらい長い時間かけて返信ツイートする。
Twitterの良さは、友だちや近しい人で埋めちゃうと、いつでも好きな時にぶらっと寄れる、緩いホームパーティーの場になることだ。でも、Twitterにランダムに他人を混ぜるのはどうだろう? ワンクリックで済む作業なのに、ウンザリくるランダムなツイートで自分のストリームが汚染されないよう、みんなフォロー先リストは賢明に切り詰めてしまってるよね。
その気持はわかる! だけど、自分の生活に他人の生活を組み込むことで生まれる楽しみを侮ってはならない。
僕がこれ読んで思ったのは、Twitterの他人がもたらすプラスの効果は、電子盗聴の愉しみに留まらない、ということ。予測不能なツイートに絶えず触れることで ― 間違ったツイート、意味不明なツイート、どうしようもなく馬鹿なツイートでもこの際構わない― 自分のクリエイティブな可能性の幅は広がるんだよね。
この説明を理解するには、ごくありふれた、人間のイマジネーションの予測可能性の問題に立ち返らなくてはならない。何遍調査しても人に自由に連想するよう頼むと、返ってくる答えは意外と自由じゃないのだ。例えば、「青」から連想する言葉をなんでもいいからひとつ言ってくれと頼むと、大体最初に返ってくるのは「空」だ。次はおそらく「海」。その次が「緑」。クリエイティブな気分の人だと、「ジーンズ」なんかの名詞だ。何故か? 理由は簡単。「我々の連想は言語で形成される。そして言語はクリシェ(陳腐な決まり文句)だらけなのだ」
ではどうしたらこのようなクリシェから脱却できるのか? UCバークレイの心理学者Charlan Nemeth女史は実に簡単な解消策を見つけた。彼女の実験は、こんな風に進む。ある被験者のグループにいろんな色のスライドを見せて何色か訊く。グループには予め、ラボの助手を覆面で潜入させている。大体のスライドはひと目で色がわかるので、グループの人たちは瞬く間にそのつまらないルーティーンに慣れて落ち着く。
ところがここでNemeth女史はラボの助手に、わざと間違った答えを叫ぶよう言っておいたのである。だから赤のスライド見せると「黄色!」、青のスライド見せると「緑!」という珍回答が飛び出すわけね。で、この実験をやって数分後、同じカラーを見せて、そこから自由に連想した言葉を尋ねてみたら、結果は驚くべきものとなった。なんとそのグループは、「dissent condition(逆の意見を考えられる状態)」になっていたのだ。―要は、正確じゃない記述に晒されてきた人たちの方が、もっとオリジナルな連想ができた、ということ。「青」と聞けば「空」、「緑」と聞けば「草」を連想するバカの一つ覚えじゃなく、連想の織機を広げた彼らの口からは「青」からそれこそ「マイルス・デイビス」とか「smurfs(アニメ、マネーロンダリングする人)」とか、果ては「パイ」なんて答えまで飛び出してくる。もはや分かりきった答えが彼らの唯一絶対の回答ではなくなってしまったのだ。
もっと最近になってNemeth女史は、これと似た戦略が、「ベイエリアの渋滞改善策について自由に連想する」といった様々なクリエイティブなタスクの問題解決改善にも役立つことを発見した。
こうした「異論(dissent)」のパワーも実は、ひとえに驚きのパワーのなせる技なのである。誰かが間違った答えを叫ぶと、それを聞いた我々は ― 青が「緑」と呼ばれる衝撃の勢いで― 色というものの意味を今一度考え直し始める。妙ちきりんな回答の意味を理解しようと、別の新しい角度から問題を考えるようになる。そこで自分たちが慣れ親しんだ連想 ―青と空という簡単な連想― を後にするのである。我々のイマジネーションは自分では予想だにしないものに遭遇することで、広がる。
そしてだからこそ、Twitterでは他人をフォローすべきなのだ。我々の人生は自然に任せてるとつい、なんでも自分色のマニキュア塗りたくった人生になってしまう。好きなブログも作家も友だちもみんな自分そっくりな見てくれで、自分そっくりな考えを持ち、下手すると話し方まで自分そっくり、なんてことになる。(週末カプチーノの列に並んだ時には、ホントに自分の顔面張り倒したくなったよ。だって列に並んでる全員が全員みんなおんなじ格好なんだぜー。アートっぽく綻びつくったジーンズ、ぶっ飛んでるTシャツ、フランネルのシャツ、くしゃくしゃの髪、etc.。 しかも全員おんなじガジェット見てるし。まさか全員おんなじ糞サイト見てんじゃ…ってね。 人と違う格好のつもりが全員おんなじ格好してるっていう大茶番劇で、自己嫌悪なんてもんじゃなかった!)。 この戦略だと人生はそりゃちょっとばかり快適にはなる ―なんせストレンジャーは言うこともストレンジだったりするからな ― が、それはまた自由な連想の足かせとなるクリシェが強化されることをも意味する。我々はますます凝り固まった考え方しかできなくなるのだ。
だからこそ僕は、Twitterで予想不能な誰かをフォローすることが、もっとオープンな心に近づく小さな一歩だと思うのね。何故なら、世の中みんながみんな同じ物事に同じように反応するとは限らないから。時として我々は実験にサクラひとり潜り込ませないと、そんなことさえ思い出せない。でも時として我々は、神、デトロイト、カーダシアン姉妹に対する新しい見方に触れさせてくれるネットの他人ひとりいるだけで、それを思い出すことができる。
[Twitter Strangers - The Frontal Cortex]
smurfs(マネーロンダリングする人)は、オリジナルの青色のキャラクターの方じゃないでしょうか。
ReplyDeletehttp://en.wikipedia.org/wiki/Smurfs
あ、足しました、thnx!
ReplyDeleteiPhone用のツイッタークライアントには「半径XXキロのツイート表示」という機能があります。普段のTLとは異なる言説空間を目の当たりにできるのでおもしろいです。
ReplyDeleteな~るほど~! 考えてみると同じ場所に居合わせるのもそうなら、同じ時間を生きてること自体、奇跡ですよね。
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