December 28, 2005

ジョブズ氏の卒業祝賀スピーチ-訳者追記:Steve Jobs' Commencement Speech - translation note

「スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ」(初出メルマガ転載ブログ#1)について蛇足ながら訳者追記をまとめた。スピーチを読んで大分間が経つ方のみ限定ということで興味があればご一読されたい。

 多くの方がご指摘の通り、ジョブズ氏は非常にプライベートな人であり、公の場で自らの人生を総括したのはおそらくこれが最初と思われる。

  波乱に満ちた氏の生涯はこれまで幾度となく書籍化されてきたが、氏自身はその中の一冊として目を通していない。彼に解雇されたアップルの元部下たちがそ の腹いせに出した本だけは手に取って開いたが、「ページの初っ端から生まれ年が違っていたので、そこで読むのをやめてしまった」と氏は以前語っている。今 年4月に出た「iCon」では、発売中止要請に応じなかった大手出版社ジョン・ウィリー&サンズの技術関連書籍をアップル全専門店の棚から取り下げる騒ぎもあった。

 これほどまでに自分の言葉で語ることにこだわりのある人なので、スピーチライターの代筆という線は考えられない。ここにある言葉はその平易でミニマルな語り口といい、研ぎ澄まされた考察、独特のボキャブラリーといい、どこをどう 切っても、ジョブズである。

 創作でないことは過去の発言からも明らかだ。

 氏の史伝として頻繁に引用されるのはヴァージニア工科大の学部生が1994年に必修科目で提出した小論文などで、他にも近況を追った紹介記事は無数にあるが、裏づけには肉声を拾ったインタビュー記事が好ましいだろう。

 特によく知られているのは、コンピュータワールド・スミソニアン賞リーダーシップ大賞受賞の際に行われた11,600ワードを超すロングインタビュー抄録(1995 年4月20日)。これで「抄録」というのだから実際は何時間なんだろう?とても想像がつかないが、喋り出したら止まらない世界の弁士ジョブズの面目躍如な 超対談は、父の回顧から、「アップルに没落をもたらした」ジョン・スカリーCEO(ジョブズ放逐の首謀者)、全米公立校にパソコンを寄贈する計画を握り潰 したボブ・ドールへの恨み節、エンジニアをアーティストと同列に捉える視座、ルーカスからピクサーの母体を買い取った事情まで興味深い話が連綿と続く。

 この最後の方、後輩起業家に向けた助言では「来る日も来る日もこれが人生最後の日(拙訳Part-5、章立てと小見出しは訳者の加筆)」の引用、それに「死は生の発明品」(同Part-7)という洞察が既に示されている。

 ワイヤード誌1996年2月号掲載インタビューでは、「創造の本質は“繋ぐ”ことである」とし、「人生経験つまり“点”が多い人ほど人間の本質を捉えた広がりと深みのあるものが創れる」と説いた。ニュアンスは大分異なるが、「点を繋ぐ」(同Part-3参照)という特徴的な比喩をここでも使っている点が目を引く。

 ビジネス主体の記事が多い中、ニューヨークタイムズ・マガジンがアップル復帰内定後の氏に取材した翌1997年1月12日掲載のインタビューは 肉親との再会などかなりプライベートにも踏み込んだ内容だ。今となっては有名な話だが、スタンフォード大MBA課程に講師として招かれたジョブズ氏 が、隣の席に座ったローリン(拙訳"ロレーヌ"は仏語表記)女史と電話番号を交換後、次の予定地に向かおうとする車中で「これが地上最後の夜だとしたら自 分は 会議に出るのだろうか、それ ともこの女性と過ごすだろうか?」(同Part-5参照)と自問、気付いた時には駐車場を駆け出していたというエピソードは忘れがたい。

 同じ記事中、シリコンバレーが人類に未来永劫残した偉業は何か?と尋ねられ、氏は即座に「マイクロチップの発明とWhole Earth Catalog」と答えている(同Part-7参照)。

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 スティーブン・ポール・ジョブズ、通称スティーブ・ジョブズ氏(原音表記)は1955年2月24日、ジョアンヌ・シンプソン女史とエジプト系アラブ人(姓名不詳)の長子としてウィスコンシン州グリーンベイに生まれる。

  生後間もなく彼を引き取ったジョブズ夫妻(ともに他界)は、氏が5歳の時にサンフランシスコからマウンテンビューに転勤、さらに学校に馴染めないス ティーブのため隣のロスアルトスに転居する。氏はこのシリコンバレーの中心地で電気のことに明るい父とご近所さん、小学時代に友人のガレージで知りあった 天才スティーブ・ウォズニアックら大勢のエレ狂いに囲まれて育つ。
 「当時のシリコンバレーは大体が果樹園…アプリコットやプルーンのなる畑で、それはもうこの世の楽園だった。今も覚えているんだけどバレーが端から端まで見渡せるほど空気はきれいでクリスタルのように澄み切っていた」(氏、スミソニアン賞インタビュー)
  やがて10代になった氏は生みの親を探し始める。諦めかけた27歳の頃(27といえば氏が米歴代長者番付けTOP400に史上最年少入りを果た し、雑誌「TIME」1982年2月15日号の表紙を飾った前後だ)ようやく辿り着いた肉親のもとには、二人が結婚後に授かった2歳半違いの妹がいた。後のベストセラー作家、モナ・シンプソンである。

 シンプソン夫妻はモナさん10歳の時に離婚が成立、ジョアンヌさんは娘を連れて 長年住み慣れたウィスコンシンからロサンゼルスに越している。モナさんは 兄の住むベイエリアの北端に聳える名門UCバークレイで修士号を取りNYマンハッタンへ。ジョブズ氏から初めて連絡を受け、見かけもソックリなら趣味指向 も瓜二つな二人は隠密に連絡を取り合う。

 「兄のことはものすごく尊敬している」と語るモナさん。そのデビューを祝う処女作出版記念パーティーに氏は初めてジョアンヌさんとともに実兄として臨席、出版関係者たちを卒倒させた(1986年)。

  ジョアンヌさんはジョブズ氏を養子に出した辺りの事情を一切明らかにしていない。ジョブズ氏も固く沈黙を守り通している。ただ、モナ・シンプソンの第2 作「The Lost Father」には表題通り、父親不在のあまり幸福とは言えない家族の姿が描かれており、我々にはこの数少ないフィクションの記述から生前の事情を斟酌するぐらいのことしかできない。

 血を分けた父親 (政治経済学者)については何も語らないジョブズ氏も、ジョアンヌさん(スピーチセラピスト)とは折に触れ親族の集まりに招くなど良好な 関係を築いている。氏自身はジョアンヌさんが「自分を生んで養子に出してくれたことに感謝している」としており、「これまで二人の間に刺々しい感情の軋轢 があったことは一度もない」

 実父については1999年に氏の長女リサさんが父系ルーツについてマスコミに明らかにしている ほか、ヴァニティ・フェア誌2005年10月号も「ジャンダーリ氏」と報じた(WIKI英語版フォーラム)。また、氏の伝記を現在執筆中の作家フレデ リック・アラン・マクスウェル氏(「マイクロソフト CEOバルマー」著者)が「実父は1952年に21歳で渡米したシリア出身の政治学教授アブダルファター・ジャンダーリ(Abdulfattah Jandali)氏」とブログに書いたことで話題が復活した。

  前人未踏の「”公認”ジョブズ伝」の実現を目指すマクスウェル氏は、この親子の奇妙なまでの共通点に瞠目し丸一章をその分析に充てジョブズ氏本人に事実関係を確認しようと送ったが「頭いかれてんじゃないの?」とメールで一蹴され、「そっちが?」とやり返してしまった。

 発禁ジョブズ本の山に近々また新たな墓標が立ちそうな気配だ。

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 最後に一つ。
  拙訳Part-1で氏は実母をbiological motherと呼んでいる。これは養子縁組と体外受精、再婚のシステムが確立した米国ではPC(政治的に公正な)表現。人生相談の大御所Dr.フィルも 人気トーク番組では普通にこう呼ぶから違和感はない。

 異常なのは養父母の呼び方で氏は養子縁組前の段階から 二人を「両親(parents)」と呼んでいる。続く文章もmother、fatherで時系列に 合わない。仮に養子縁組前の段階で「母」「父」と言えば(現役の院生が大学中退では辻褄が合わないにせよ)咄嗟に浮かぶのは実母だし実父だ。生みの親と混乱し兼ねない表現を何故わざわざここで、使ったのか?この疑問だけが残った。

 スミソニアン賞インタビューで彼は養父をこう回顧している。;
  「私はとても幸運でした。私の父ポールはものすごい男で高校ひとつ出ていないのに、第二次大戦では沿岸警備隊に志願してパットン将軍の下で世界各地に軍隊 を輸送する仕事をやっていたんです。けどいつも面倒に巻き込まれてしまって最後は民間に出た。職業は機械工です。大変な働き者で手先が器用なことにか けては天才的な人でした。
 ガレージには彼の作業台がひとつあって、5、6歳の頃かな。ちっちゃなスペースを私に分けてこう言ったんです。“ス ティーブ、これからはこれがおまえの作業台だからな。” そして小さ目の道具を何個かくれると、金槌とノコの扱い、ものの組み立て方を実際にやって見せて く れた。それは私にとって本当にタメになる良いことでした。彼はずっと長い時間、私のそばにつきっきりで…ものを組み立てる方法と解体のし方、それをまた元に戻す方法を仕込んでくれたんです。
 彼が興味を振り向けてくれたことの一つが電子工学です。彼自身深い知識は無かったんだけれども車や他の製品を修理する普段の仕事で電気のことに触れる機会は相当あったので電子の基礎を教えてくれた。で、習ったこちらはこれに異様に興味を持ってしまったというわけです」
  こうして生まれたのが、「マイクロチップとWhole Earth Catalogを同一線上で語る」ジョブズ氏だ。そして、詩と瞑想、自由を何より愛する文系の青年を果樹がたわわに実る黎明期のシリコンバレーに呼んだのは他ならぬ育ての親ポールなのである。大局的には時代が、バレーが彼を引き寄せたという言い方もできる。が、一義的にはポール・ジョ ブズ氏なくして今のジョブズはない。

 氏は育ての親を養父母とは呼ばない(NYTマガジン)。氏が「親」と言えば、それは即ちポール&ク ララ・ジョブズ夫妻のことである。氏にとって二人は「真の親(true parents)」。それは二人が養子縁組待ちリストで彼の誕生を待ちわびていた昔も、ともに故人となった今も変わらない。

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