October 21, 2014

モニカ・ルインスキー講演抄訳:Monica Lewinsky on Cyberbullying @Forbes


Monica Lewinsky Speech at '30 Under 30 Summit'


おはようございます。

公の場で話すのは4回目です。20人を前に練習で話したのが1回。マスコミを閉めだした非公開の行事で話したのが1回。あと1回は弟の結婚式です。あがって見えたら、すみません。本当にあがってるので。泣かないようにがんばります。

私の名前はモニカ・ルインスキー。

その名前は変えた方がいいって何度もすすめられました。どうして変えないんだって言われたこともあります。でもこのとおり。変えてません。

まだモニカ・ルインスキーでやってます。

みなさんは若手の成功者で、たぶん平均すると私より15歳ぐらい若いのかな。ほんとにうらやましいです。今日は若い人に聞いてもらいたい話があるのでこうしてお邪魔しました。

これだけ若いと中には「モニカって誰よ?」って思う人もいるかもしれませんね。「モニカ・ルインスキーってなにラップのあれか?」と思ってる人もいるかな(笑)。エミネム、ビヨンセに感謝ですね。ニッキ・ミナージュ、Kid Cudi、Lil B、Lil Wayne、そしてもちろんG-eazy、Jeezyその他大勢のみなさんにも。

簡単に自己紹介させてください。16年前、私は大学を出て22歳でホワイトハウスのインターンをしていて上司と恋に落ちました。よくある話です。上司は合衆国大統領でした。これはあんまりない話かもしれないけど。

今では深く後悔しています。いろんな人を傷つけてしまった。これは絶対許されることではありません。でも1995年の私は何度もくっついたり離れたりして交際が2年続きました。あの頃の私にはそれがすべてでした。舞い上がっていたところまでは良かったのですが、そのうち事が公になって、しっぺ返しがきました。

当時はインターネットもウェブサイトもワシントンDC以外では知る人もいませんでしたが、「Drudge Report」(ニュースアグリゲーションサイト)は結構知られていて。私のことが明るみになると24時間で米国内はもとより世界中に名前が知れ渡りました。あれは今思うと、伝統的なマスコミがインターネットにスクープを奪われた最初の事件だったかもしれません。

1998年は狂ったような報道合戦になりました。まだグーグルもない時代だったけど、もうワールドワイドウェブ(当時はそう呼んだんです)は人間生活の大きなパートを占めていたんですね。

一夜にして私は名もない私人から世界中に罵倒される公人になりました。それは「Patient Zero(グラウンドゼロ=爆心地。転じて忍耐の極限まで揶揄される爆心地)」とでも呼ぶべき状況でした。

インターネットで人格を完全に踏みにじられた最初の人間。

TwitterもFacebookもInstagramもなかったけど、ゴシップ、ニュース、芸能サイトはあって、コメント欄もあるし、メール転送もできましたからね。もちろん全部、死ぬほど遅いダイヤルアップ接続でやるんです。それでもニュースは世界中に広まりました。バイラルで広まるという意味では、あれがまさに「ソーシャルメディア」誕生の瞬間でした。

ロイヤルティのひとつも回収してたら今ごろ大金持ちになっていたのにね。


なぜこんなことになったのか?

現職の大統領を相手取ってのセクハラ訴訟(原告は私ではありません、ほかの人)、政治的野心をもつ無所属の検事、ふたりの秘密の電話を20時間以上録音した自称友人。その彼女はテープを検事に証拠品として提示しましたから、あんまり秘密でもなくなってしまいましたが。

そこに24時間ケーブルニュースとインターネットの台頭が重なって発達した政治スキャンダルのパーフェクトストームでした。

私の世界はどんな風だったのか? 

いろんな脅迫にさらされました。まずFBIがショッピングモールでおとり捜査を始めました。映画で観る通りのことが本当に起こるんです。フードコートで友だちと待ち合わせて座ってるとしますよね。すると友だちはおとりで、目の前にはFBI捜査官が2人バッジを出して立ってるんです。

すぐ近くのホテルの部屋に連れ込まれて、宣誓供述書で不倫を否認したら最大懲役27年だぞって脅されました。27年ですよ。まだ24歳の私には途方もない年月です。

捜査協力して盗聴器をつけなければ母親も…(声が詰まる)…母親も裁かれるって言われました。ちなみに私、盗聴器は着けませんでした。

友だちも家族も証人喚問されました、私の反証で。最初の数ヶ月は…大学にいる弟にも家族にも電話できませんでした。訴訟沙汰に引きずりこみたくなかったからです。

アメリカvs.ルインスキーの大陪審の前には見ず知らずの他人が集まる一室で、想像を絶するような私生活の細かいことまで証言を求められ、それはそのままオンラインのニュースで公けにされました。

こんなことを続けているうちにだんだん私は、モニカ・ルインスキーは2人いるんだと思うようになりました。そう、2人収まるぐらい世界は広いのです。

私がいますよね。で、公人のモニカ・ルインスキーがいるんです。政治の派閥とマスコミが作り上げた好奇の対象のモニカ・ルインスキー。わずかばかりの事実にフィクションをたっぷり交えて作り上げたモニカ・ルインスキーです。

友だちが知ってるのはあのモニカではありません。家族が知ってるのもあのモニカじゃない。このモニカ、今ここにこうして立ってるモニカが知ってるのもあのモニカではありません。

公のイメージと本当の自分が乖離することがどんなことかわかりますか? ここで言う「公」というのは広義の意味でです。みんなも周りに多かれ少なかれ人はいますからね。

公のイメージと本当の自分が乖離することは、不安、鬱、自己嫌悪をトリガーする最もよくある要因のひとつなのです。人が思う自分と自分が思う本当の自分の乖離が大きければ大きいほど、不安、鬱、挫折感、屈辱感は大きくなります。

この16年間の思いをひとつの言葉に集約するとなんだろう? 自分の胸に手を当てて考えるとき心に浮かぶのはこの言葉です。「Shame(恥)」。

自分自身に対する恥、家族を貶めたことに対する恥、自分の国、自分たちの国を貶めたことに対する恥。

正直、壊れる寸前でした。いや決して大げさに言ってるんじゃありません。大げさだったらどんなにいいか。

それでも壊れずに済んだ(というか完全には壊れずに済んだ)のは、家族と友だちの理解があったからです。彼らは愛情と励ましをくれました。ブラックユーモアも沢山言い合って。本当に沢山。そして何よりも彼らはこの私を、本当の私を、まっすぐ見てくれてたんです。

あの渦中の心境は言葉をいくら並べてもわからないと思います。オンラインでズタズタに引き裂かれる自分(というか自分の名前、自分に似た何か)を眺めている気分はどういうものなのか?

こうたとえると分かる人もいるかもしれません。お腹にパンチを食らう感じです。道で他人がツカツカと歩いてきて、お腹を殴るんです。強く。シャープに。

1998年は每日がその連続でした。誹謗中傷は繰り返し繰り返しきます。オンラインも新聞もTVもどこを見回しても私の話。ズカズカと土足で踏みにじられて、淫乱、売女、尻軽女、頭の悪い女、身持ちの悪い女、果てはスパイとまで呼ばれて。

ニューヨーク・ポストのPage Sixマガジンはほぼ每日のように私のことを「Portly Pepperpot」と書きたてました。心は粉々でした。

道を歩いていて人に殴られることはそうありません。が、インターネットではそれが日常です。今この瞬間にもオンラインでは誰かがそんな目に遭っています。ここのみなさんがどうツイートするかによっては、やられるのは自分かもしれませんけどね。

オンラインの誹謗中傷はオフラインのそれとは違います。終わりが見えない、だから頭で理解できない。ここからここまでというボーダーもありません。

世界中に笑いものにされている気分でした。

1998年9月11日に調査報告書「Starr Report」がオンラインに出たとき、私はNYCのホテルの一室に篭ってました。ソニーのVaioをもって。恐ろしく遅いネット環境で。精神安定剤代わりにM&Mチョコを大量に買い込んで。丸1日画面を見ながら、「オーマイガッ!」「こんなことまで載せるの?信じられない」「それ全然関係ない話じゃん」と叫んで過ごしました。

叫んでないときは頭の中でこうマントラのように唱えていました。「死にたい」

弟に日記読まれた時も、7年生のとき好きだった子に自分が書いたラブレター暴露された時も、ここまで恥ずかしくはありませんでした。

弟も弟の友だちも、パパもパパの同僚の医師も、義父も義父の第2次大戦時代の戦友も、義母も義母の編み物友だちも全員、私の私生活のものすごく細かいところまで知ってるんです。80代のおじいちゃん、おばあちゃんもインターネットのことは知ってました。家族全員。友だち。友だちの親も。親の友だちも。

「ネットにつながってないと歴史的瞬間に立ち会えない」というのは、あの連邦議会が「Star Report」をオンラインで公表した時が最初だったと後日どこかで読みました。が、あのとき悲しみをこらえて一語一語読み下しながら私が思ったのは「ネットにつながってる人で今これ読んでない人なんていない」ということだけでした。

報告書を読んでる赤の他人のイメージには終わりもボーダーもありません。それがまた恥と屈辱を千倍にも増幅します。人前に顔を出すなんて二度と無理だって思いました。卑屈になって、わめいて、泣いて、頭の中ではあのマントラが繰り返し流れます。「もう死にたい」

時は流れて2014年。今は私人も公人も恥ずかしい目に遭う危うさを抱えています。(セレブヌード流出の犠牲になった)ジェニファー・ローレンスならそうだねと言ってくれると思います。先週のSnappening事件でSnapChatの非公開フォトがさらされた9万人の人たちも同感でしょう。

打撃は致命的です。そして誰でも次の標的になり得ます。2010年にはラトガース大学1年生のTyler Clementi君(18)が標的になりました。部屋で別の男性にキスしてるところをルームメイトが隠し撮りしてネットにストリーミングし、オンラインで面白おかしく馬鹿にされました。

あまりの恥ずかしさと屈辱に身動きがとれなくなった彼はその数日後、ジョージ・ワシントン・ブリッジから飛び降りて死にました。

あの悲劇があったから今日私はここにこうして立っているんです。あの事件は私もショックでしたが、母親がものすごく怒ってて、なんでだろうって不思議だったんです。でもだんだんわかってきました。1998年の、何度も私が自殺を考えていた頃のことを思い出すからなんですね。いつ娘が誹謗中傷で死に追い詰められていてもおかしくなかった、あの頃のことを思い出すからなんです。

Tyler君の話は私にとってとても重要な意味をもつものです。親御さん(私もお会いしました)は、彼と同じような境遇で悩むLGBTの若者に安全で差別のない社会を実現するために「Tyler Clementi基金」を立ち上げました。

Tyler君の悲劇からもう4年が経ちます。が、オンラインで人を誹謗中傷で死に追いつめるトレンドには一向に終息の気配すらありません。過去10年のネットいじめ自殺のうち43%はTyler君が橋から飛び降り自殺した「後」のものです。昨年のデータもカウントしてないのに、です。

Facebookユーザーで「ネットいじめを体験したことがある」人は全体の54%近くにのぼります。大学生は5人に1人が経験者。若い女子は4人に1人が経験者です。上の世代も一緒。安全圏の人なんていないんです。

一生かかって築く名声も、壊れるときは一瞬だって言いますけど、今ほどそれが事実として実感できる時代はないでしょう。

[...]

私は一度、名声が地に落ちた人間です。アイデンティティーを自分でもよくわからない誰かに置き替えられて。自意識も見失いました。失った、というか盗まれた。ある意味、ID盗難みたいなものですからね。

今は自分のことを、サバイブした人間だと思ってます。どうサバイブしたのかは自分でもよく覚えてませんが。「拒絶」することで乗り切ってる部分はまだあります。でも近ごろはそれに頼る機会もだんだん減って、前ほど沢山拒絶しなくても大丈夫になってきました。

そんなことよりせっかくサバイブしたんだから、今度は同じように誹謗中傷ゲームで悩んでる他の被害者がサバイブできるよう力になれればと思ってます。苦しんだ経験を良いことに活かして、自分の過去になにがしかの目的を与えたいんです。[後略]


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この講演に合わせてモニカ・ルインスキーさん(41)はツイッターを始めた。するとたちまち講演で予言したとおりトロルが大挙して訪れ、ヒラリー・クリントン当選しか眼中にないCNNが「こんなタイミングで表に出てきてなんのつもりだ恥を知れ」とボコボコに叩いてる。まったく進歩がないわね。


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