オランダのロン・フォウチャー(Ron Fouchier)教授がアメリカ国立衛生研究所(NIH)の依頼でH5N1パンデミックの研究を行ったら、人類の半分を殺す致死力を備えた鳥インフル変異種ができてしまって、その生成法の概要を科学誌「Science」に寄稿したものの、あまりの内容に編集部預かりとなっている、という先週のニュースで、へ~バイオテロの専門家も大変ねえ、と思っていろいろ読んでたら、こんな妙なものが視界に飛び込んできた。
9-11テロ後にイアン・ガーニー氏がメールで広めた怪文書「微生物学者5人の不審死」。これって日本でも有名なのかな?こことかにはあるけど。前半だけ訳しておこう。ガーニー氏はダニエル書、ヨハネの黙示録、ノストラダムスの大予言、マラキ書など聖書に記された終末論の専門家で、その本も出している。BBCのラジオで喋ってる声聞く限りは普通の人だ。
メールの被害者の数はだんだん増えてゆき研究者の間に不安が蔓延。これを受けNYタイムズは翌年夏こんな長文の検証記事(下)を出している。
(写真追加は訳者)
マイアミ警察が駆けつけたとき、ベニト・クー(Benito Que)は人通りのない横丁で倒れていた。いつもフォード・エクスプローラを停めておく最寄りの駐車スポットはもぬけの空だった。相前後してドン・C.・ワイリー(Don C. Wiley)が謎の失踪を遂げた。車(白の三菱ギャランのレンタカー)はメンフィス郊外の橋の上に乗り捨てられていたが、氏は直前までその近くで友人らと上機嫌で夕食を共にしていた。続く週にはウラジミール・パセチニク(Vladimir Pasechnik)がロンドンで倒れて死んだ。死因は心臓発作と思われる。
同様の事件は4ヶ月で1ダース近くにのぼった。ある者はヴァージニア州Leesburgで刺殺され、ある者は豪グリーロングのエアロックのかかったラボ内で窒息死、 ある者は英ノーウィッチの血みどろのアパートで下半身裸のまま椅子の下に押し込められていた。ある者はジョギング中に車に轢かれ、ある者はプライベートジェットで墜落死、またある者はピザの宅配を装った男に撃たれて殺された。
以上の人物たちを結びつけるのは、バイオテロ・細菌兵器の世界に近い、という共通項だ。車の盗難に遭ったクーはマイアミ大学医学部の研究員である。ワイリーはこの中で最も有名で、エボラ熱などのウイルスに対する免疫系反応の識見においてその右に出る者はいない。パセチニクはロシア人で、亡命前はソビエトが巡航ミサイルを生物兵器に変えるのを補佐した。
以上3名+8名の死の連鎖は昨年秋、宇宙服に身を固めた緊急対策チームが米国会議事堂に詰めかけ、除染を行った時点に端を発する。郵便配達員が瀕死の重態となり、報道陣が厳戒体制を敷き、全米が郵便物開封を恐れたあの事件の時にすべては始まった。
これが平時なら、一連の死の存在に誰も気づかずじまいだったかもしれない。が、当時はとても平時と呼べる状態ではなかった。国民は近所の人をFBIに通報し、他の乗客が不安がるからという理由だけで乗客は飛行機を降ろされ、医学誌は悪者の目に触れて困る記事の選り分けを話し合う、そんな異様な空気が支配し、今まさに微生物が巨大な脅威として忍び寄らんとするその時に、降って湧いた科学者連続不審死。最初は興味本位から出た話が噂が噂を呼んでネットを駆け巡り、メインストリームメディアを駆け巡るうち不気味な陰謀論となっていった。実際こうしたことが起こる確率はどれぐらいなのだろう?
ここで言ってるのは陰謀ではなく偶然起こる確率の話だ。[...]
=大幅に中略=
このガーニーの書いた記事はサイトからサイトへと渡り歩き、’怪奇現象専門ジャーナル’を自称する雑誌「Fortean Times」共同編集者Paul Sievekingの目に止まった。
「うちには年中いろんなものが送られてくるけど、これは本当に面白い話だったね」とSievekingは言う。ロンドンのサンデーテレグラフ紙コラムニストと二足の草鞋を履く彼は、そっちの肩書きでこの話をテーマに「Strange but True -- The Deadly Curse of the Bioresearchers(奇妙だが本当の話~生物学研究者たちの死の呪い)」というタイトルで同紙にコラムを1本書いた。彼のバージョンでは冒頭ふたりのNgyuyen(炭疽菌で死んだNYの女性、オーストラリアで猛毒の気密室に閉じ込められて死んだ男性)の関連性から話を展開し、最後は「一連の事件を繋ぐ線は何もない可能性もある。が…陰謀論者やスリラー作家が喜んで飛びつきそうなネタではある」と締めている。
この記事を書いて数ヵ月経った今、Sievekingはこう語る。「たぶんテキトーに寄せ集めただけなんだけど、集めてみたらあたかも重大事件のように見えてしまったんじゃないかな。僕らはみな生まれつきストーリーテラーなところがあるし、陰謀論者なんて単に不満のはけ口求めてる小説家。僕らはランダムな事実から話をうまくでっち上げるのが好きなんですよ」
ガーニーは数ヶ月の間にリストにさらに名前を加え、全米のバーチャルとリアルの出版社に送り続けた。メインストリームの新聞社も取り上げるようになり、ワイリー事件への関心が特に高いメンフィスの隔週紙や、一番最近ではトロントの全国紙Globe and Mailにも載った。死んだ「微生物学者」の数は、どの記事読むかによって増減はあるが、現在11名。上記人物のほかに、最も頻繁に登場する名前は以下各人である。
・ヴィクトル・コルシュノフ(Victor Korshunov):ロシアの腸内細菌の専門家。モスクワの自宅そばで頭を強打される。
・イアン・ラングフォード(Ian Langford):ロンドンの環境リスク・環境病の専門家。英ノーウィッチ近郊の自宅で下半身裸で椅子の下に押し込められて死んでいるのが見つかる。
・ターニャ・ホルツマイヤー(Tanya Holzmayer):サンノゼ近郊で働く微生物学者。ピザ宅配を装った元同僚にドアを開けたところ、7回撃たれて死亡。
・デヴィッド・ウィン-ウィリアムズ(David Wynn-Williams):南極で微生物の研究を行った人。英ケンブリッジの自宅付近をジョギング中、車に跳ねられて死亡
・スティーヴン・モストウ(Steven Mostow):インフルエンザの専門家。デンバー近郊で自分で操縦中のプライベートジェットが墜落して死亡
この話は、無数の微生物学者のメール受信箱にも届いた。アメリカ微生物学会の広報・科学ディレクターを務めるジャネット・シューメイカー(Janet Shoemaker)も読んだが、彼女は同学会だけで会員は4万1000人もいる中、世界で11人、それも厳密には微生物学者と呼べない人がほとんどでその数字なら、統計的に驚くほどのことでもない、と指摘する。「誰かが死ぬのは我々も悲しいですよ。しかし、これは単なる偶然。政治状況が今と違えば誰も気にも留めないでしょう」
この話は、ケン・アリベク(Ken Alibek、「バイオハザード」著者)の耳にも入ったが、彼も言下に否定した。アリベクは国内屈指の微生物学者である。(亡くなったヴィクトー・パセチュニク[Victor Pasechnik]が働いていた)旧ソ連バイオプレパラート(Biopreparat)ではNo. 2だった男だが、亡命して今は米国政府で自らが開発に携わっていた兵器の解毒剤開発の仕事に携わっている。
彼は、死んだ人たちは生物兵器のことは実際何も知らない人だし、そういう知識を持ってる人を殺す陰謀があるなら自分は今頃死んでいる、と言う。 「全部ちょっと無理がある。だいたいB.W.(bioweapon、生物兵器)の専門家と思えない人も多いからねえ」と呆れたように言う。「死ぬ前にパセチニクからメールも受け取ったが、これとは全く違う分野の仕事をしていたよ。よく人に『ケン、狙われてるぜ』と言われるけども、そんなこと考え出したら、人生終わり。心配してないと言ったら嘘になるが、あんま気にしてないね。手紙も普通に開封するし、何か怪しい場合の対処もわかってる」
そこまで楽観できない人もいる。NYのコロンビア長老教会医療センターの臨床微生物学ディレクターを務めるフィリス・デラ-ラッタ(Phyllis Della-Latta)は、最も敷居の高い学術的な場、つまり世界中の臨床微生物学研究所の所長が集うネットのディスカッショングループで死の記事が出回っているのに気付いた。ここに集まる彼らは患者の症状が不審な場合、例えば炭疽のようなものの除去に駆り出される人たちだ。
デラ-ラッタは医療関係の取材で知り合った人である。その彼女が、こんな注釈付きで例の記事を送ってくれたのだ。「添付ファイル、参考までに。私も心配した方がいいかな??? 明日から来週までイタリアに出張です。戻ってこなかったら、訃報書いてね」
その彼女も今では、あそこに書かれた死と死の間に繋がりがあるとは思っていない。「おそらくただの偶然でしょう。でも一度偶然と片付けたものも、後で振り返ってみたら違うってことも多いので。-- 外国人が飛行機操縦の教習、あれも今から思えば偶然ではないわけで(9-11ハイジャック)、それ考えるとパラノイアになってしまいますね。ならずにはいられません」
ドン・ワイリーの遺体は12月20日ついに、失踪現場から南に約300マイル(483km)下ったルイジアナ州ヴィダリアで発見された。
メンフィスの検察医O.C.スミス(O.C. Smith)は、ワイリーの車に残っていた黄色の塗料の痕から、エルナンド・デ・ソト・ブリッジの工事中のサインに車がぶつかったものと結論づけた。これは右前のタイヤのホイールキャップが取れている事実とも符号する。橋の上では大型トラックの通過に伴い突風が起こり「路面バウンス」が起こるが、車から降りて車体の傷をチェックしていたワイリーが、これでバランスを崩したのではないか、というのがスミスの推理だ。ワイリーの身長は6フィート3インチ(190cm)。橋の手すりも太ももの中ほどまでしか届かない。
「もしワイリー博士が路肩に停めて車の損傷を調べていたのだとすれば、以上の条件が重なって手すりを超えて転落してしまった可能性もある」―スミスはこう捜査報告書に書いている。遺体の骨折もこの推理を裏付けている。ワイリーは首と背骨を骨折し、胸部は潰れていた。これは水面にぶつかる前に支持梁に体を打ってできる損傷と一致する。
ワイリーの遺族の中では、もうこの事件は終わっている。噂をすべて聞いた上で、ワイリーの妻Katrin Valgeirsdottirはこう言う。「こういう類いの説は常にあるもの。信じたい人は信じるでしょうし、それを誰かがとやかく言ってもしょうがないです」
メンフィス警察も事件は終わったと考えている。地元のF.B.I.支局はもう他の怪事件で忙しい。メンフィスの町は今、市の検察医を先月襲った異様な襲撃の話でもちきり。有刺鉄線で全身ぐるぐる巻きにされ、胸に爆弾を括りつけられた状態で、検察医が通う建物(訳註:遺体安置所)の階段に置き去りにされていたのだ。
偶然にもその検察医というのが他でもない、全米が待ちに待ち、その結論に疑問の声も出た、あのドン・ワイリーの検死を行ったO.C.スミスなのである。
これが起こる確率は、さて?
---
中略のところは、そんなシャラマン映画「サイン」みたいなこと現実にあるわけない、という論駁が延々続く。例えば「ベニト・クーは、微生物学者ではない。がん治療薬の研究員であって、炭疽や伝染病の研究はした経験がない、とマイアミ大学医学部教授で3年間クー氏の上司を務めたBach Ardalan教授は話している。危ない研究もしてないし、死ぬ前は体調不良を訴えていたので、そこにたまたま強盗にバットで殴られて死んじまったんではないか。ワイリー教授が死ななければ誰も話題にしなかったはずだ」とか。
確かに、炭疽菌で死んだ女性とオーストラリアで猛毒の気密室に閉じ込められて死んだ男性はたまたま苗字が同じNguyenなだけという気がする。しかしそれ以外は結構事実なので、「微生物学者」で検索して引っかかった5つの死に腰抜かすほど驚いたガーニー氏の驚愕は想像に余りあるよね。
元のインフルの話に戻すと、偶然でも陰謀でもこういう話が身近にあると、ああいう危ない論文もひとりで抱え持っていたくないんだろうね。どうかみなさま長生きしますように。アーメン。
因みにアメリカ炭疽菌事件の犯行を疑われた米国政府の生物兵器研究所研究員ブルース・イビンズ(Bruce Ivins)氏は2008年に自殺した。裁判の前に。仮に裁判まで生きても検察側には有罪立証に足る証拠はなかった、と捜査担当の人たちが今頃になって言ってる。
9-11テロ後にイアン・ガーニー氏がメールで広めた怪文書「微生物学者5人の不審死」。これって日本でも有名なのかな?こことかにはあるけど。前半だけ訳しておこう。ガーニー氏はダニエル書、ヨハネの黙示録、ノストラダムスの大予言、マラキ書など聖書に記された終末論の専門家で、その本も出している。BBCのラジオで喋ってる声聞く限りは普通の人だ。
The Very Mysterious Deaths Of Five Microbiologists - 細菌学者5人の謎の死
By Ian Gurney
12-20-1
遠大な陰謀論、メル・ギブソンのアクション映画、「Xファイル」みたいな話だがここに書かれていることはすべて実話である。
各研究分野で草分け的存在の高名な細菌学者5人が死亡あるいは行方不明となり、死亡したひとりは、炭疽吸飲で亡くなった61歳の女性(NYの病院勤務)と奇妙なつながりがあることがわかった。考え過ぎだって? まあ、ともあれ先を読んでくれ。
ここ数週間、炭疽などの伝染病・生物兵器およびDNA配列が専門の世界的研究者の死亡・失踪が相次いでいる。
まず11月12日、HIVなどの伝染病に詳しい細胞生物学者ベニト・クー博士(Dr. Benito Que)がマイアミ医科大の自研究室の外で遺体で見つかった。警察は路上強盗の犯行と見て捜査を進めている。
「詳細は不明だが、事件は月曜午後、氏がマイアミ大学医学部の仕事を終えて帰る途中で起きた。現場はノースウェスト10番街の駐車場に止めた自家用車(白のフォード・エクスプローラ)の前。野球のバットを持った男4人組に襲われた、と友人たちは話している」(マイアミ・ヘラルド紙)
クー博士の襲撃から1週間とあけず、11月16日には、国内屈指の伝染病研究者ドン・C.・ワイリー博士(Dr. Don C Wiley)が失踪した。APのBill Poovey記者はこう書いている。
「見つかった氏のレンタカーはガソリン満タンで、キー差込口に鍵も差し込まれたままになっていた。真っ先に自殺を疑うが、同僚も家族も、ハワード・ヒューズ医学研究所で働くハーバードの科学者であるワイリー博士が自殺なんてするわけないと話している」
「失踪のたった数時間前までSt. Jude's Children Research Advisory主催ディナーで一緒だった研究仲間たちも、博士は機嫌もよく、悩んでいる様子は見られなかった、という。最後に目撃されたのは失踪当夜メンフィス中心街のPeabodyホテルの宴会で。最後に見た人たちも死を覚悟しているような節は全く見られなかった、と語る」
「ワイリー博士は真夜中前後にこのホテルを後にした。車が見つかった現場の橋はホテルから車でたった5分の場所で、投宿先ホテルとは逆方向にあるため捜索に手間取り、車が発見されたのは失踪から4時間後だった」
「メンフィス警察で自殺・強盗・殺人の可能性も含めて現在捜査中」
「ワイリー博士は感染から人体を守る免疫系のエキスパート。近年はAIDS、エボラ熱、ヘルペス(疱疹)、インフルエンザといった危険なウイルスの研究に携わっている」
UPDATE.....
ハーバード生物物理学者、ミシシッピ川で遺体となって見つかる http://www.freerepublic.com/focus/fr/594752/posts
メールの被害者の数はだんだん増えてゆき研究者の間に不安が蔓延。これを受けNYタイムズは翌年夏こんな長文の検証記事(下)を出している。
The Odds of That - あれが起こる確率
By LISA BELKIN, August 11, 2002, New York Times(写真追加は訳者)
マイアミ警察が駆けつけたとき、ベニト・クー(Benito Que)は人通りのない横丁で倒れていた。いつもフォード・エクスプローラを停めておく最寄りの駐車スポットはもぬけの空だった。相前後してドン・C.・ワイリー(Don C. Wiley)が謎の失踪を遂げた。車(白の三菱ギャランのレンタカー)はメンフィス郊外の橋の上に乗り捨てられていたが、氏は直前までその近くで友人らと上機嫌で夕食を共にしていた。続く週にはウラジミール・パセチニク(Vladimir Pasechnik)がロンドンで倒れて死んだ。死因は心臓発作と思われる。
同様の事件は4ヶ月で1ダース近くにのぼった。ある者はヴァージニア州Leesburgで刺殺され、ある者は豪グリーロングのエアロックのかかったラボ内で窒息死、 ある者は英ノーウィッチの血みどろのアパートで下半身裸のまま椅子の下に押し込められていた。ある者はジョギング中に車に轢かれ、ある者はプライベートジェットで墜落死、またある者はピザの宅配を装った男に撃たれて殺された。
以上の人物たちを結びつけるのは、バイオテロ・細菌兵器の世界に近い、という共通項だ。車の盗難に遭ったクーはマイアミ大学医学部の研究員である。ワイリーはこの中で最も有名で、エボラ熱などのウイルスに対する免疫系反応の識見においてその右に出る者はいない。パセチニクはロシア人で、亡命前はソビエトが巡航ミサイルを生物兵器に変えるのを補佐した。
以上3名+8名の死の連鎖は昨年秋、宇宙服に身を固めた緊急対策チームが米国会議事堂に詰めかけ、除染を行った時点に端を発する。郵便配達員が瀕死の重態となり、報道陣が厳戒体制を敷き、全米が郵便物開封を恐れたあの事件の時にすべては始まった。
2011年秋、上院議員に届いた炭疽菌入りの手紙 (c) CNN |
これが平時なら、一連の死の存在に誰も気づかずじまいだったかもしれない。が、当時はとても平時と呼べる状態ではなかった。国民は近所の人をFBIに通報し、他の乗客が不安がるからという理由だけで乗客は飛行機を降ろされ、医学誌は悪者の目に触れて困る記事の選り分けを話し合う、そんな異様な空気が支配し、今まさに微生物が巨大な脅威として忍び寄らんとするその時に、降って湧いた科学者連続不審死。最初は興味本位から出た話が噂が噂を呼んでネットを駆け巡り、メインストリームメディアを駆け巡るうち不気味な陰謀論となっていった。実際こうしたことが起こる確率はどれぐらいなのだろう?
ここで言ってるのは陰謀ではなく偶然起こる確率の話だ。[...]
=大幅に中略=
このガーニーの書いた記事はサイトからサイトへと渡り歩き、’怪奇現象専門ジャーナル’を自称する雑誌「Fortean Times」共同編集者Paul Sievekingの目に止まった。
「うちには年中いろんなものが送られてくるけど、これは本当に面白い話だったね」とSievekingは言う。ロンドンのサンデーテレグラフ紙コラムニストと二足の草鞋を履く彼は、そっちの肩書きでこの話をテーマに「Strange but True -- The Deadly Curse of the Bioresearchers(奇妙だが本当の話~生物学研究者たちの死の呪い)」というタイトルで同紙にコラムを1本書いた。彼のバージョンでは冒頭ふたりのNgyuyen(炭疽菌で死んだNYの女性、オーストラリアで猛毒の気密室に閉じ込められて死んだ男性)の関連性から話を展開し、最後は「一連の事件を繋ぐ線は何もない可能性もある。が…陰謀論者やスリラー作家が喜んで飛びつきそうなネタではある」と締めている。
この記事を書いて数ヵ月経った今、Sievekingはこう語る。「たぶんテキトーに寄せ集めただけなんだけど、集めてみたらあたかも重大事件のように見えてしまったんじゃないかな。僕らはみな生まれつきストーリーテラーなところがあるし、陰謀論者なんて単に不満のはけ口求めてる小説家。僕らはランダムな事実から話をうまくでっち上げるのが好きなんですよ」
ガーニーは数ヶ月の間にリストにさらに名前を加え、全米のバーチャルとリアルの出版社に送り続けた。メインストリームの新聞社も取り上げるようになり、ワイリー事件への関心が特に高いメンフィスの隔週紙や、一番最近ではトロントの全国紙Globe and Mailにも載った。死んだ「微生物学者」の数は、どの記事読むかによって増減はあるが、現在11名。上記人物のほかに、最も頻繁に登場する名前は以下各人である。
・ヴィクトル・コルシュノフ(Victor Korshunov):ロシアの腸内細菌の専門家。モスクワの自宅そばで頭を強打される。
・イアン・ラングフォード(Ian Langford):ロンドンの環境リスク・環境病の専門家。英ノーウィッチ近郊の自宅で下半身裸で椅子の下に押し込められて死んでいるのが見つかる。
・ターニャ・ホルツマイヤー(Tanya Holzmayer):サンノゼ近郊で働く微生物学者。ピザ宅配を装った元同僚にドアを開けたところ、7回撃たれて死亡。
・デヴィッド・ウィン-ウィリアムズ(David Wynn-Williams):南極で微生物の研究を行った人。英ケンブリッジの自宅付近をジョギング中、車に跳ねられて死亡
・スティーヴン・モストウ(Steven Mostow):インフルエンザの専門家。デンバー近郊で自分で操縦中のプライベートジェットが墜落して死亡
この話は、無数の微生物学者のメール受信箱にも届いた。アメリカ微生物学会の広報・科学ディレクターを務めるジャネット・シューメイカー(Janet Shoemaker)も読んだが、彼女は同学会だけで会員は4万1000人もいる中、世界で11人、それも厳密には微生物学者と呼べない人がほとんどでその数字なら、統計的に驚くほどのことでもない、と指摘する。「誰かが死ぬのは我々も悲しいですよ。しかし、これは単なる偶然。政治状況が今と違えば誰も気にも留めないでしょう」
この話は、ケン・アリベク(Ken Alibek、「バイオハザード」著者)の耳にも入ったが、彼も言下に否定した。アリベクは国内屈指の微生物学者である。(亡くなったヴィクトー・パセチュニク[Victor Pasechnik]が働いていた)旧ソ連バイオプレパラート(Biopreparat)ではNo. 2だった男だが、亡命して今は米国政府で自らが開発に携わっていた兵器の解毒剤開発の仕事に携わっている。
彼は、死んだ人たちは生物兵器のことは実際何も知らない人だし、そういう知識を持ってる人を殺す陰謀があるなら自分は今頃死んでいる、と言う。 「全部ちょっと無理がある。だいたいB.W.(bioweapon、生物兵器)の専門家と思えない人も多いからねえ」と呆れたように言う。「死ぬ前にパセチニクからメールも受け取ったが、これとは全く違う分野の仕事をしていたよ。よく人に『ケン、狙われてるぜ』と言われるけども、そんなこと考え出したら、人生終わり。心配してないと言ったら嘘になるが、あんま気にしてないね。手紙も普通に開封するし、何か怪しい場合の対処もわかってる」
そこまで楽観できない人もいる。NYのコロンビア長老教会医療センターの臨床微生物学ディレクターを務めるフィリス・デラ-ラッタ(Phyllis Della-Latta)は、最も敷居の高い学術的な場、つまり世界中の臨床微生物学研究所の所長が集うネットのディスカッショングループで死の記事が出回っているのに気付いた。ここに集まる彼らは患者の症状が不審な場合、例えば炭疽のようなものの除去に駆り出される人たちだ。
デラ-ラッタは医療関係の取材で知り合った人である。その彼女が、こんな注釈付きで例の記事を送ってくれたのだ。「添付ファイル、参考までに。私も心配した方がいいかな??? 明日から来週までイタリアに出張です。戻ってこなかったら、訃報書いてね」
その彼女も今では、あそこに書かれた死と死の間に繋がりがあるとは思っていない。「おそらくただの偶然でしょう。でも一度偶然と片付けたものも、後で振り返ってみたら違うってことも多いので。-- 外国人が飛行機操縦の教習、あれも今から思えば偶然ではないわけで(9-11ハイジャック)、それ考えるとパラノイアになってしまいますね。ならずにはいられません」
ドン・ワイリー博士の車が残っていたエルナンド・デ・ソト・ブリッジ ここに来るまで失踪後4時間の足取りはまだ掴めていない Hernando DeSoto Bridge (c) Wikipedia |
ドン・ワイリーの遺体は12月20日ついに、失踪現場から南に約300マイル(483km)下ったルイジアナ州ヴィダリアで発見された。
メンフィスの検察医O.C.スミス(O.C. Smith)は、ワイリーの車に残っていた黄色の塗料の痕から、エルナンド・デ・ソト・ブリッジの工事中のサインに車がぶつかったものと結論づけた。これは右前のタイヤのホイールキャップが取れている事実とも符号する。橋の上では大型トラックの通過に伴い突風が起こり「路面バウンス」が起こるが、車から降りて車体の傷をチェックしていたワイリーが、これでバランスを崩したのではないか、というのがスミスの推理だ。ワイリーの身長は6フィート3インチ(190cm)。橋の手すりも太ももの中ほどまでしか届かない。
「もしワイリー博士が路肩に停めて車の損傷を調べていたのだとすれば、以上の条件が重なって手すりを超えて転落してしまった可能性もある」―スミスはこう捜査報告書に書いている。遺体の骨折もこの推理を裏付けている。ワイリーは首と背骨を骨折し、胸部は潰れていた。これは水面にぶつかる前に支持梁に体を打ってできる損傷と一致する。
ワイリーの遺族の中では、もうこの事件は終わっている。噂をすべて聞いた上で、ワイリーの妻Katrin Valgeirsdottirはこう言う。「こういう類いの説は常にあるもの。信じたい人は信じるでしょうし、それを誰かがとやかく言ってもしょうがないです」
メンフィス警察も事件は終わったと考えている。地元のF.B.I.支局はもう他の怪事件で忙しい。メンフィスの町は今、市の検察医を先月襲った異様な襲撃の話でもちきり。有刺鉄線で全身ぐるぐる巻きにされ、胸に爆弾を括りつけられた状態で、検察医が通う建物(訳註:遺体安置所)の階段に置き去りにされていたのだ。
偶然にもその検察医というのが他でもない、全米が待ちに待ち、その結論に疑問の声も出た、あのドン・ワイリーの検死を行ったO.C.スミスなのである。
CBS 48 Hours「Terror At Menphis Morque」が流した発見当時の写真 検察側は自作自演とスミスを起訴したが、陪審員の票が割れ評決不能で釈放された。 だがそれきり検死の仕事には戻れなかった |
これが起こる確率は、さて?
---
中略のところは、そんなシャラマン映画「サイン」みたいなこと現実にあるわけない、という論駁が延々続く。例えば「ベニト・クーは、微生物学者ではない。がん治療薬の研究員であって、炭疽や伝染病の研究はした経験がない、とマイアミ大学医学部教授で3年間クー氏の上司を務めたBach Ardalan教授は話している。危ない研究もしてないし、死ぬ前は体調不良を訴えていたので、そこにたまたま強盗にバットで殴られて死んじまったんではないか。ワイリー教授が死ななければ誰も話題にしなかったはずだ」とか。
確かに、炭疽菌で死んだ女性とオーストラリアで猛毒の気密室に閉じ込められて死んだ男性はたまたま苗字が同じNguyenなだけという気がする。しかしそれ以外は結構事実なので、「微生物学者」で検索して引っかかった5つの死に腰抜かすほど驚いたガーニー氏の驚愕は想像に余りあるよね。
元のインフルの話に戻すと、偶然でも陰謀でもこういう話が身近にあると、ああいう危ない論文もひとりで抱え持っていたくないんだろうね。どうかみなさま長生きしますように。アーメン。
因みにアメリカ炭疽菌事件の犯行を疑われた米国政府の生物兵器研究所研究員ブルース・イビンズ(Bruce Ivins)氏は2008年に自殺した。裁判の前に。仮に裁判まで生きても検察側には有罪立証に足る証拠はなかった、と捜査担当の人たちが今頃になって言ってる。
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