February 15, 2010

マイクロソフトの創造的破滅:Microsoft's Creative Destruction - NYT

CourierWindows Phone 7Windows 8も最近のマイクロソフトは「生まれ変わる」がキーワードだが、そこを強調したい気持ちがよくわかる4日付けNYタイムズ論説コラム(サマリー)を全訳でどうぞ。iPadブームを誰よりも無念な気持ちで眺めているのは、この方かもしれない。

Microsoft’s Creative Destruction

by DICK BRASS, February 4, 2010, New York Times
San Juan Island, Wash.

アップルの新タブレットコンピュータ「iPad」に人々は驚嘆し、テクノロジーの専門家の間ではこれでアマゾンの人気電子書籍事業が今後どうなるかが焦点のようだが、もっと重要なことがある。アメリカのテクノロジー業界で最も名高く金回りのいいマイクロソフトから未来を感じさせるものがもう何も出てこないことだ。iPadのようなタブレットコンピュータも、Amazon Kindleのような電子書籍リーダーも、BlackBerryやiPhoneのようなスマートフォンも、Googleのような検索エンジンも、iPod&iTunesのようなデジタル楽曲システムも、FacebookやTwitterのようなWebサービスも。

前例のない意図的独占企業という色眼鏡が近年流布しているせいか、マイクロソフトが苦しむ姿を面白がって眺める人もいる。失敗して、ざまあ見ろ、と。が、あの会社で働いた経験のある我々の見方は違う。悪く言っても、悔やまれるところ大ではあるが、偶然の成り行きでそうなった部分も多い独占企業である。同社は世界最高の頭脳と技能を持つ社員を何千人と雇い入れた。コンピュータの利用をユビキタスで安価なものにした功績は他のどの会社よりも大きい。マイクロソフトのWindows OSとOfficeアプリケーション・スイートは今も市場を完膚なきまでに凌駕している。

スティーブ・バルマーCEOは巨大な黒字を出し続けている。過去10年単独で総利益は優に1000億ドルを超え、ワシントン州シアトルひいては国家全体の経済を支えている。創業者ビル・ゲイツは史上最高の篤志家であるのみならず、何千人という社員にも喜捨の精神をインスパイアした。真っ当な心を持つ人なら、マイクロソフトの凋落を願うなんてあってはならないことなのだ。

が、凋落は起こっている。空前の売上げを報告している、この今も。10年前マイクロソフトでタブレットPCとeブックを作ろうとした(そして惨敗に終わった)元社員だから言えるのだが、こんな私みたいな人間を信頼し過ぎるからこうなるのだ。しかし同社の衰退はあまりにも広く目を覆うばかりである。この期に及んで私のごとき一介の人間が責任云々を論ずること自体がおこがましい。

マイクロソフトはモタモタと競争力のないイノベーターに落ちぶれた。製品は面白おかしく攻撃される。フェアじゃないこともあるが、言い分ごもっともなことも多い。1990年代の反トラスト法裁判以降、その企業イメージはついぞ一度たりとも修復できなかった。マーケティングは何年も前から的外れなものを流している。覚えておいでだろうか? ビル・ゲイツがカメラに文字通りクネクネ腰振った2008年の広告。 

アップルが数多くの製品で市場シェアを広げるのを尻目に、マイクロソフトはWebブラウザ、ハイエンドのラップトップ、スマートフォンで市場シェアを奪われている。何十億ドルという金を投じたにも関わらずXboxの製品ラインはいまだに大目に見ても、ゲーム機業界の競合にやっと肩を並べる程度だ。パーソナルミュージックプレーヤーは最初は無視し、後にオタオタ躓いているうちに、アップルががっちり商売にロックをかけてしまった。


マイクロソフトの膨大な黒字 — 最終四半期67億ドル — も蓋を開けてみれば何十年も前に初めて開発したWindowsとOfficeプログラムから入る利益がほとんどだ。トラックとSUVで食ってるG.M.じゃないが、マイクロソフトだってこうした脆弱な製品が永久に続くなんてアテにはできない。何よりも最悪なのは、もう誰もマイクロソフトをクールで最先端の職場だと思ってないこと。同社ではベスト&ブライテストな社員の辞職が後を絶たない。

一体何があったのか? 他社と違ってマイクロソフトは、イノベーションを育む真のシステムを一度も開発してこなかったのだ。元同僚の中にはイノベーションを挫折させるシステムを開発したのだ、とまで言う人もいる。企業附属のものとしては世界最大かつ最高の研究施設を擁していながら、そして、最高技術責任者(CTO)を1人のみならず3人抱える贅沢を享受していながら同社はまるで日常のルーティーンのように、明確なビジョンをもって物事を考える人たちの努力に水を差している。

例えば、在職して間もない頃、非常に優れたグラフィックスのエキスパートを集めた私のグループで、「ClearType」という画面テキスト表示法を発明したことがあった。これはLCD(液晶)のカラーのドットを活用し、画面の文字をもっと読み易いものにする技術だ。電子書籍販売を助けるため開発したものではあるが、マイクロソフトのスクリーン搭載型デバイスすべてに膨大なアドバンテージをもたらす発明になるはずだった。が、社内には我々の成功に脅威を感じるグループも複数あり、彼らにはこれが目障りでもあった。

Windowsグループのエンジニアたちは、特定のカラーを使用する際に表示が滅茶苦茶になると不当な主張を展開した。Officeプロダクトのトップは、文字がボケてて頭が痛くなる、と言った。ポケット端末のバイスプレジデントはもっと単刀直入だった。ClearTypeはサポートする、使ってやろう、ただし条件がある、私がこのプログラムと担当プログラマーたちを彼の権限下に引渡したらの話だ、というのだ。結局、一般の評価は高く、昇進に繋がり、特許も取れたにも関わらず、ClearTypeフル機能バージョンがWindowsにやっと搭載できたのは、その10年後だった。

もうひとつの例。2001年、我々はタブレットPCの作業を進めていた。そしたら当時のOffice担当バイスプレジデントが急に気に食わないコンセプトだと言い出した。タブレットにはスタイラスが要るが、彼はペンよりキーボードの方がずっと好ましいと思うし、我々の努力は失敗する運命にあると言うのだ。そして間違いなく失敗に終わるよう彼は、人気のOfficeアプリがタブレットで正しく動作するよう調整するのを拒否した。かくして表計算に数字を入力したりメール本文の言葉を修正したいと思えば、特殊なポップアップ窓に書き込んで、その情報をOfficeに転送する方式となった。これは面倒で、使いづらく、遅い。

こうしてまたしても我々のタブレットは経営トップから熱烈な支援を得て、開発に何百万ドルと費やしたものであるにも関わらず、(他部署からの)サボタージュを許してしまった。今日に至るまでOfficeはタブレットPCから直接使えない。Appleタブレットが今年発売されるのが確実なのに、Microsoftのタブレットグループは撤廃となった。

マイクロソフトでうまく行かないこと全てが、内紛の潰し合いに起因するわけではない。問題の一端は、(リスクの高い)ハードウェアに取り組むことなく(利益率の高い)ソフトウェアを開発しようとする同社伝統の優先傾向にある。1975年同社が創業された当時なら、それも経済的に意味のある判断だった。が、今はiPhoneやTiVoのように連動が緊密で尚且つ美しくデザインされたモノを創るのは遥かに難しくなっている。さらに問題の一端は、そう、反トラスト法裁判和解の後遺症で慎重になったことにもある。タイミングも悪かった。—Web TVへの対抗馬は出すのが早過ぎた。iPodは遅過ぎた。

社内闘争はどの大企業にもある。アイディア同士の切磋琢磨は推奨するのが賢明でもある。問題は、その競争が制御不能となり破滅的になる場合だ。マイクロソフトではそれが機能不全の企業カルチャーを生んだ。そこでは大きな権威あるグループが新興チームを餌食にし、彼らの努力をけなし、リソースの奪い合いで不当に彼らに対抗し、いじめ抜いてやがてその存在を抹消する。この10年の間にマイクロソフトで楽曲、電子書籍、携帯、オンライン、検索、タブレットの事業を担当したエグゼキュティブはほぼ全員会社を辞めたが、これは偶然ではない。

結果、同社には本当に輝かしい過去があり、人が羨む活況の現在がありながら、未来があるかどうかは未知数なのである。その創造力に火を取り戻さない限りは。

(本稿執筆は1997年から2004年までマイクロソフトでバイスプレジデントを務めたDick Brass氏による)

UPDATE: 変化の兆し


[Microsoft’s Creative Destruction - NYTimes]

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