パバロッティ「誰も寝てはならぬ」: Pavarotti ’Nessun Dorma’

"Every day I remind myself of all that I have been given. ... With singing, you never know when you are going to lose the voice, and that makes you appreciate the time that you have when you are still singing well. I am always thanking God for another season, another month, another performance."

(訳)毎日、自分が授かった全てのことを思う。... 歌は、自分が声をいつ失うか決して分からない、だからこそ、まだ上手に歌えるこの時間に感謝もする。私はいつも神に感謝しています。もうひとシーズン、もうひと月、もう一度舞台で、歌えることに。 - Luciano Pavarotti (Oct 12, 1935- Sept 6, 2007), AP

-Rest in peace.

Nessun dorma, nessun dorma....
Tu pure, o Principessa,
Nella tua fredda stanza,
Guardi le stelle
Che tremano d'amore
E di speranza.

Ma il mio mistero e chiuso in me,
Il nome mio nessun sapra, no, no
Sulla tua bocca lo diro
Quando la luce splendera,
Ed il mio bacio sciogliera il silenzio
Che ti fa mia.

(Il nome suo nessun sapra
E noi dovrem, ahime, morire.)

Dilegua, o notte!
Tramontate, stelle!
All'alba vincero!

-
Giacomo Puccini, Nessun Dorma from "Turandot"
プッチーニ歌劇『トゥーランドット』より「誰も寝てはならぬ」(邦訳


ルチアーノ・パバロッティ

1935年10月12日北イタリアのモデナの町外れの貧しいパン屋の倅として生まれる。戦時下の1943年、一家は農村に1部屋借りて疎開。パバロッティはテノールが自慢の(あがり症で歌手になれなかった)父と、9歳ごろから町の小さな教会で歌いはじめる。

学校卒業後は教職に就くが歌手を志して2年でやめ、「30歳までに成功しなかったらあきらめる」という約束で19歳から本格的に歌の修行を始める。実家の逼迫を見てとった師アリーゴ・ポーラはこの時、無償で彼に歌を教えた。

教職、保険のセールスマンなどバイトで小遣い稼ぎしながらの下積みだった。最初の6年は無報酬の小さな公演ばかり。一度は声帯結節で舞台で大失態を演じ全て諦めかけてしまう。が、それを精神的に克服した頃には、理由は分からないが結節も嘘のように治り、「学んだもの全てがひとつになった」(パバロッティ、回顧録より)。

そうして迎えた1961年、エミーリア・レッジョで見事コンクールに優勝。
---そこから先は歴史、ですね。

今日モデナの自宅で息を引き取るまで世界を魅了し続けた“神に祝福された声”で歌う「誰も寝てはならない」は昨年トリノ冬季五輪開会式で披露した最晩年の演目だ。

[ilGiornale.it - Addio a Pavarotti, la voce italiana - n. 210 del 06-09-2007]

Comments

  1. だいぶお久しぶりです。
    kamesan dailyのジョージです。

    日本帰国のどさくさでこの記事を読んでいなかったのですが、Pavarottiが亡くなったのは悲しかったです。あの馬鹿みたいにエモーショナルなNessun Dormaが聞けないのかー、と。

    今後はYoutubeで一躍有名になったPaul Pottsに期待しちゃおうかな。

    ReplyDelete
  2. サーフボードのgeorgeさんですね。コメント気付きませんでした…サンディエゴでご友人夫妻のお宅、全焼しちゃったんですか…。義捐金集めの動画、後で紹介させてください。

    ReplyDelete

Post a Comment